新かな配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

自分の脳の仕組みがわかった

とかげ配列で、じゃらじゃら打つのが良いといいつつ、やっぱ間欠的じゃダメなのかなぁとか。

典型的な行段左右分離配列はQWERTYより遅いけれど安定して等速で打てるから良かったんだっけとか。

その辺の議論を思い出していた。

 

また、打鍵動画を撮るとあまりに自分の手の動き、機敏さ慌ただしさが想像と違っていてびっくりする。

さっきのとかげ配列もそうだけど、いろは坂配列はずっとそうだ。

 

というようなことを考えて、

なぜ私は間欠的なタイピングを好むのかようやく明らかになったので説明しよう。

 

 

 

グロ注意

 

f:id:menmentsu:20200627234900p:plain

 

自分にとっての文章作成はこんなだ。たぶん。

指には別の脳がある。文字を考える脳と指の脳は全く別領域だ。

また、文字は自分の体を通っていない。腕が点線なのはそういうことだ。指と脳が物理的に繋がっているということを文章作成中に意識することがない。

 

完全に感覚的な話なので、話半分でお願いします。

 

文章作成するために、まず文字や単語を思いつく。思いついた単語は外でストックされて、そこで単語同士が繋がって文になる。

 

ストックといっても無限ではなく、ろう斗のように常に下から染み出している。

これが数秒なのか、数十ミリ秒くらいなのかはわからない。

 

けれどこのおかげで脳と指の"分業"がしやすくなる。

もしこのストックがなければ脳から送られる単語は直で指に伝えられ、

イメージでいうと、タイピングを脳波と同調させなければならない。

自分が気まぐれで間欠的に思い付く単語とタイピングを同調させないといけないなんて、曲芸のようにも思える。私にはこれができないようだ。

また、指の処理能力を超える単語が送られてきたらオーバーフローし、単語が捨てられ、せっかく思いついたのに出力されず終わるという問題もありそう。

 

先日試した無休憩の「等速タイピング」。あれは思考速度とタイピング速度を常に同調させることで、ストックなしの条件でも不自由なく作文するためのトレーニングになるものだったのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=2pQEVBd_9hw&t=739s

ポテンシャルでいえば変なストックなど無いほうが直接脳で文章を操れることに繋がり、文章の質は上がるだろう。

 

私には文字のストックがある。そのせいでおそらく文章の質は相当下がっているだろう。

ただ、ストックのおかげで指と脳それぞれがマイペースに作業できるので、

まぁさほどストレスがないようにも感じる。

 

たとえば、QWERTY配列やとかげ配列のように、アルペジオを積極活用する配列は速くタイピングすると間欠的になりがちだが、

指と脳はリンクしていないし、文はろう斗からぽたぽた垂れてきているだけなので、

1滴ずつタイピングしたっていいし、10滴くらい溜めてからじゃらっと打つのも自由である。さすがに溜めすぎは無理だけれど。

思考速度を超えてじゃらっと打つ事が許されるから休憩時間も多く、凝りにくいと思われる。凝りは指の速さではなく筋肉の連続緊張時間からくるものと思われるので、速く打ってたくさん休む方式のほうがリスクが少ない。ただし腱鞘炎のリスクは上がる模様。

 

指と脳が分離しているもうひとつの留意点として、当然だけれど脳でタイピングを制御しにくい。

指には独立した専用の脳があるとはいえ、そんな高度なことはできない。

私にとって配列を無意識化するというのは本体の脳から指の脳への移管させるということだが、

配列が高度なものだと移管できない。

そして何が高度に相当するかというと、私にとっては「シフト」である。シフトは頭使わないとできない。

 

私にとって最も頭使うシフトは同時打鍵である。指の脳には順序の概念はあるが、時間の概念がない。なので、意図的に同じ時間で打つのがとっても難しく感じる。

また、他のシフトであっても無連想のシフトはとてもつらい。連続シフトは小書きだけとか、半濁音だけとか、その程度が限界である。できれば単打と連想できるものが良い。

 

いろは坂配列のように4段でキー数多いことについては別にそんなことないみたい。キー数増やしたところでタイピングの原理は変わらず、実戦投入できるようになるまでの訓練の期間が長くなるだけだろう (シフトも慣れればいいだけなのか。。?)。

 

指からキーボードを介して、ようやく文章が組み上がるわけだけど、本体の脳から文章がなんと遠いことか。

創作文は洞窟探検だなんてことを前に言ってしまったけれど、そういう感覚は上記のような事情からくる。

もちろんさすがに洞窟が問題なのはなんとなくわかってきたから、特訓して自分なりに明かりをつけて先を見通せる能力をつけるべきか。。

 

この記事もやっつけの図を作って500字程度で説明して終わりだと想定していたら、たいそう真面目な説明から抜け出せなくなり、気づいたら2000字超えていた。。こういうのが洞窟探検だと思ってしまう。

ストックのようなものがあるから、ただでさえ気まぐれな脳が更にマイペースになって、無計画に単語を漏斗に放り込みやがるから埒があかない感ある。

 

脳と文章が遠いからこそ、修正もおおい。一度文章が出来上がってから日本語的な違和感を可能な限り取り除く。手書きだと消しゴムがあるとはいえさすがにそんなに修正できないけど、私はペン握るよりキーボードに向かっている時間のほうが長かったから、修正前提でしか文字入力ができないようになったのだろう。

 

余談だが、私はタイピング練習中にごくたまにうたた寝するが、 (精度はともかく) 指は動き続けている。

赤矢印の文字のフローがなくなっても、黄色い文のストックはあるので、多少脳が停止しても大丈夫ということか。

指と脳が分離していることを示すものかも。。しれない。

 

 

上記の図で示される例はヘンテコで特殊なようにも思えるが、

でも意外にありふれているものと想像している。

特に頭で文章を考えていることに慣れていない人は、とりあえず思考の外にストックを無意識に作るのではないだろうか。

指と脳が分離しているため、たとえ指がQWERTY配列に違和感を覚えたとしても本体の脳にそれが伝えられることはない。指も指で、ヘンテコ配列が目の前にあっても盲目的に慣れてしまう。

腱鞘炎など外的な痛みが生じたり、また勉強してQWERTYの理論上の非合理性を認識してはじめて、本体の脳がQWERTY配列をやめようと思うようになる。

 

 

というように、エセ科学にすらならない謎の論理を展開してきたわけだけれど、

でも自分の感覚的には、脳の外にストックがあるとか、指には別の脳があるのは嘘ではないと言っていて、

たぶんこれらの事柄は脳科学で説明されるべきものなんでしょうね。

 

 

 -----追記-----

大岡さんが取り上げてくださいました。いつもありがとうございます。

oookaworks.seesaa.net

たしかに「言う」に近いですね。 

私のように書く習慣が無かった人間だと書くことが「言う」の延長線上になりがちなのかなと。

コピー打鍵では単語の出どころが本体の脳ではなく視覚情報になりますが、それ以外は同じです。まさしくゲームをしている感覚ですかね。 

 

もっと以前の議論にあった「脳内発声が無く概念で考えている」というのはまだ想像できた。

でも

「言う時の思考と、書く時の思考が全く異なる。」

「僕にとって思考とは、その餅を変形させたり、グルグル回して裏を見たり、中に何が入ってるのか二つに割ってみたりすることだ。」

「色や触覚のような別の感覚に変換される。」

はほとんどさっぱり想像できない。。

関西弁と標準語の経緯はなるほどと思った。たしかに標準語だけで育った人には体験しえない経験ですね。。

 

 

 

 

 

 

 

「とかげ配列」公開!

www.youtube.com

 f:id:menmentsu:20200627204702p:plain

ちょくちょく試していた新ローマ字配列、とかげ配列を撮りました!

 

もう少し穏やかに打ってるつもりでしたが、見た目は想定以上に忙しない印象。

指の動きと実感はなかなかリンクしませんね。

 

とかげは軽快に機敏に間欠的に短距離を動きます。

この配列では打ちやすい文字塊を軽快にじゃらっと打つことで、ローマ字の打鍵数多い印象よりよほど楽に入力できるはずです。

 

 

分割格子配列を使ってるのは大岡さんの影響です。

 

小指使わないとか、格子配列と相性良いとか魅力はあるけど、

個人的にはなんといっても行段左右分離という点をアピールしたいですね。

 

 

 

 

 

楽器は声を超えられるか

結論からいうと無理です。

音楽性において声がもっとも優れており、感情を乗せやすく、倍音に富んでいて美しいとされます。

 

キーボードを介したタイピングは手書きを超えられるか?という議論について、

楽器を介して奏でる音は歌を超えられるか?というのと似ていて、

まぁ他にも似た例があると思うが、私は管楽器経験がありやや詳しいので述べてみる。

 

私の偏見もありますが、

楽器のなかでもっとも声に近いのはバイオリンです。

音は大きくないけど遠くまで芯の通った音が響く。

同じ音符であっても弾き方は実にさまざまで、わずかに高くして浮ついた雰囲気を出すのもいいし、暗くして悲しい雰囲気にしてもいい。

 

次に近いのはフルートです。

フルートは人の息が直接音になるという点で、声に近いです。

でもバイオリンほど音を多様に出せないので、バイオリン的な倍音に富んだ音を理想にして練習します。

同じ音符でも息の当て方ひとつで音を高くしたり低くしたり、明るくしたり暗くしたりできるので、感情を乗せやすいです。

リコーダーは、よくみんなが指をつっこむところのエッジに息があたって渦化されて音が出るんですけど、エッジの角度が固定なので同じような音しか出せず表現の幅が限られてますね。

 

つぎに金管楽器。トランペットとかトロンボーンとかホルンとか。

唇を振動させて、それが増幅されて音となる。

人間由来の音ということで、その点でポイントが高い。

 

つぎにリード楽器。クラリネットとかサックスとか。

残念ながら音の正体はリードと呼ばれる木製の板の振動であり、人由来ではない。なので感情を乗せて音に命を宿すにはワンクッション必要なイメージだ。

 

人由来ではないのはバイオリンもそうだけど、やはり弦の表現力の柔軟性が凄まじい。。

 

で、ピアノがつぎくらいで、ピアノでは強い、弱いはできますが1つの音符について高低差をつけられないため、表現力に限りがある。

その結果、指をいかに速く動かせるかどうかが重要となる。

ピアノ経験者があることと管楽器がうまいことがあまり関係ないのはよく見てきた。一つの音符に対するバリエーションの付け方を知らないから当然だ。

ピアノでは表現力の癖は楽器の影響が強いらしい。ヤマハは落ち着いているから奏者の個性を出しやすいが、スタインウェイは明るく、誰が弾いても華やかになるというのは私でも噂を聞いたことある。

コンテストでは同じ奏者でも曲によってピアノを使いわけるらしい。まぁピアノを持参するわけにはいかないからマイピアノというわけにはいかないだろうけど、でも複数の楽器を短期間の同じ舞台の上で使いわけるのは音楽界では異様だ。ふつう道具と体は一身であり、たやすく乗り換えが効くようなものではないからだ。

 

ピアノはタイピングに似てますね。

キーボード、という言葉からも明らかでしたね。

 

音を表現するにはいろいろと手段があるように、

字を表現するにもいろいろとある。

でも基本は3種類である。

喋ること、書くこと、そして打つことである。

 

喋ることは書くことを凌駕するか?

逆に書くことは喋ることを凌駕するか?

という類の議論はだいぶ無意味で、そもそも役割が違うし、

理想的には両方マスターして使い分けるべきもので、どちらを選ぶという話ではない。

 

キーボードの登場により新たに「打つこと」が現代において追加された。

そして、打つことの意味や立ち位置は、いまだ定まっていない。

 

もともと打つことには活字化という明確な役割があり、少し前まではそれだけが目的だった。

近年まで存在したキーボードのタイピストがそうだし、もっと遡れば活版印刷機の技術者がタイピストと呼ばれていた。

 

とはいえ、じゃあ現代でもペンで書くことに特化した人はタイピストを雇えばいい気がするが、どうもそうではないらしい。

まぁちょっと想像すれば分かるけど、孤独な環境でこそ真価を発揮しそうな執筆作業を共同でやるのめんどいとか、推敲のときにどっちにしろ自分が活字を直接いじれたほうがいいとか。

 

いずれにしても、キーボードはペンにも声にも敵わない。これは真実でしょう。

平易でありきたりな文章を量産するのには向いているかもしれない。チャットとか、日記くらいがちょうどいい。

 

いろは坂配列は創作文には向いていない。

なぜなら開発者の国語力と日本語に対する貪欲さが足りてないし、想定もされていないからである。現にペンの真似をしようとなど微塵も思わずに作られたものだ。

使い所は、大した思考や国語力が求められない文章、メールとか、報告書とかを爆速で片付けるのに向いているでしょう。チャットなどで声の代わりとするのにも向いているでしょう。

タイピングゲームにもめちゃくちゃ強い。ゲーミングキーボードならぬ、ゲーミング配列と呼べるかもしれない。

めっちゃ難しいけれど習得したらそれだけでアイデンティティーや満足感の得られる楽器、それがいろは坂配列である。

 

でも、声にとうてい敵いはしない楽器にも居場所があるように、

声とペンに敵わないタイピングの居場所だって、きっとあるはずだ。

そこから脱却しなければ喋ることにも書くことにも劣った道具を強制的になすりつけられている気分にしかならない。まぁ多少文章作成が拙くなっても活字化が同時にできるメリットは計り知れないけれど、それでも腑に落ちない。

  

楽器に手を出す人は往々にして歌唱力に自信のない人だ。

でなければ、音楽をやりたければ歌うのがもっともてっとりばやい。楽器は大変ですよ。毎日1〜2時間の基礎練習(ロングトーン、音階、アルペジオ)をしなければ、ほかにどんな良い実戦練習をしても水の泡となります。楽器を無意識化するにはそれほど時間の代償があります。

タイピングも同じであり、ペンを器用に動かす星に残念ながら生まれてこれなかった人種に対して、(書くことには及ばないとはいえ)打つことで同じ土俵に立つ権利が得られる。

私のような人間はタイピングによって救済されたのだ。でも同時に、膨大なタイピング練習時間という代償も払ってきた。

 

私が渋々歌の練習をするまでは、配列開発者として書く道具を作ることはできないだろう。

でも私には歌の才能が無いのでいろは坂配列は書くための道具ではないと公言することにした。

創作文動画を意地でも出してこない配列がたくさんあるが、まぁ似たようなスタンスなんだろうと想像してしまう。少なくとも打つ事にとらわれて書く事を重視しなかった配列ということだろう。

 

 

最初に色々な楽器を紹介したが、じゃぁどの配列がどの楽器の位置付けになるかというのは、ご想像にお任せしよう。

 

書くのが好き、打つのが好きというのは逆相関と思われる。書くのが好きなほどタイピングが面倒くなるのは容易に想像できる。

配列開発者がどっちに属しているかというのは注視したい。最近は後者寄りの人が目立つ気がするが、でももともと配列界は前者寄りの集団から誕生したと思っていて、打つのが好きな人が参入したのは月配列の時からではないだろうか。

 

タイピングで「書く」などと気安く言わないように気をつけることにした。

「打つ」という手段は「書く」でも「喋る」でもない第3の言語表現方法だと認識することで初めて、打つことの真価が分かっていけばいいな。

 

 

 

 

 

ブラインドタッチの必要性

私はブラインドタッチの習得が遅いほうです。

もちろん今はちゃんとできるんですけど。

 

ゆうほど必須じゃないとも思ってるんですよね。

 受け売りですけど。。(どなたでしたっけ)

とりあえずタイプウェル的にはXタイパーになってからもこの辺まではブラインドタッチしてませんでした。

 

正確にいうとブラインドタッチはできるようにはなっていたんです。でも遅いし正確性悪いから、本気で打つ時は使ってませんでした。

  

ブラインドタッチの習得法や必要性については本当に色んな人が色んなところで語られてますが、

それはさておき自分の考えを置いておきます。

 

たしかにキーボードの印字をいちいち見るのは視線移動の無駄が多いですが、

画面上に配列面を置いておけさえすれば視線移動も楽で、必ずしもブラインドタッチしなくて良いんじゃないかと思います。

  

いろは坂配列という特殊な事例は参考にならない?そうかもしれませんが。。

 

でも実際、皆さんフリック入力を器用に使っていますが、ブラインドタッチはしていないでしょう?(出来ていたら尊敬します)

なぜスマホでブラインドタッチが必要ないかというと、視線移動のロスが少ないからです (あ、でもフリック動作はいちいち目で確認してないですね。。)。 

もちろんスマホは物理じゃないからブラインドタッチがキーボード以上に難しそうというのもあります。

 

ノートパソコンだと画面のキーボードが近く視線移動が少なくて、ある意味有利かもしれませんね。

また、知り合いでブラインドタッチができないのに器用にタイピングする人がいて、彼はディスプレイの高さを限界まで下げてキーボードからの視線移動を少なくする工夫をしていました。

さらに、タイパーでもブラインドタッチができない人を知ってます。いろんな人がいるものです。

 

タッチタイピングは基本的には自然と習得されるものであり、強制されるものではないと考えています。

気づいたらキーボード見なくても打ててたわぁ。というのが理想ですね。

キーボードや配列面を見るというのは自転車の補助輪のようなもので、まぁたしかに大人で補助輪つけてる人見た事ないし不格好かもしれませんが、

別に補助輪つけることで日常的に困ることはないと思います。

 

スピードを出そうと思うと補助輪が道にぶつかって邪魔なのでだんだん補助輪を上げていきますよね。

そしたら気づいたら補助輪なしで自転車に乗れるようになっているというわけです。めでたしめでたし。

 

初心者が陥りそうな事例で、配列面を丸暗記してタイピング中に意地でもキーボードを見ない。。見ないぞ。。!ていう心構えでタイピングに望む姿勢。

 

これだと思考を邪魔しすぎです。一字一字頑張って思いだしながらぽつぽつ打つのは効率悪いです。自転車初心者はかっこつけずに補助輪に頼りましょう。

タイピング行為は点ではなく線で習得するべきものです。スピードが上がって流れに乗れば乗るほど走りが安定して補助輪を外しやすくなるのは、自転車乗れる人ならわかるでしょう。

点のタイピングはどっちにしろ遅いんだから、ブラインドタッチができてもできなくとも大差ないと考えています。

 

ブラインドタッチ習得者あるあるで、たとえば「T」の位置はどこだ~?のように特定のキーの場所を聞かれてもしばしば即答できません。

私だと半年前からいろは坂配列でブラインドタッチしてますが、いまだに即答できないキーの場所はたくさんあります。

流れの中でなんとなく覚えていて、タイピングを線で覚えてしまっているため、点で聞かれると困るのです。

 

ブラインドタッチは気負う必要はないし、タイピングたくさんしていれば勝手に自然とできるようになるものだし、タイピングたくさんしないなら尚の事必要ないというのは言いたいです。

 

もちろん「自然と」とはいいつつ、自転車の補助輪を外すのにはちょっと勇気がいるように、

タイピング慣れてからブラインドタッチを習得するにしても移行期間の違和感は生じます。1週間くらいでしょうか。

ミスタイプはどんどんしましょう。自転車は転ぶと大惨事ですが、タイピングはBSを押せばいいだけです。間違いまくって指に空間認識を叩き込むのが最も効率良いです (多分)。無意識ブラインドタッチの世界はすぐそこに来ています。

 

タイピングは頭で覚える暗記ゲーではなく、体に自然と染み込ませていくものですので、気楽にいきましょう。

 

 

 

 

新JISかじった

f:id:menmentsu:20200614181826p:plain

 

連続シフトと作文の相性に興味があるのでとりあえず新JIS配列をかじってみました。

二日でJは割とはやい気がします。

タイプウェル以外でも軽い創作文で練習しました。

 

ちゃんと練習してからじゃないと配列のレビューをするべきではない気もしますが、

人間慣れてしまうとちょっとの違和感はなくなってしまい、初心者のとき自分が何を感じていたのか忘れてしまうので

第一印象を書き記すのは良い事でしょう。

 

その前にまず親指キーなんですが、標準のセンターシフトではなく私は以下の仕様で試しました。

 左親指 (スペースキー):スペース、シフト時でバックスペース

 右親指 (変換キー):シフト専用、単打でエンター

ちなみに旧リアフォ45gで「おやうちくん」を使いました。

 

シフトを右専用にしたことでもしかしたら運指に無理が出るかもしれないけど、

シフトは指一本のほうが連続シフトがしやすいし、脳のコストも低いですね。

ふつうのセンターシフトだと、両親指の役割分担が私には何故かできない。。

 

新JISは習得しやすいですね。2日でタイプウェル200秒切れました。

旧JISのときなんかタイプウェル打ち切る (400秒) のに1週間かかりましたもん。

新JISは習得しやすいかな配列というのはよくわかりました。その上で感想を述べます。

 

やゆよ が小書きが同じキーじゃないので常に混乱しました。

また「ょ」だけ単打なのも混乱しました。

でも「っ」はあまり混乱しなかったですね。

  

「える」「して」「とに」が打ちにくかったです。

「っつ」も気になったかも。

気になる連接は使い込めばもっと出てくるでしょう。。

  

「な」はそこかぁ。小指右端。

私は小指には寛容なほうだけど、それでも違和感がありました。

慣れればいけるけれど、なぜ「な」をここにしたのかが気になる。もう少しだけ頻度落とした文字なかったのかな。

  

「ん」人差し指上段は、私は右人差し指が短いから辛いですね。

 

「゛」頻度的に最も高い濁点をホムポに置くのは合理的。

でも濁点後置シフトであっても濁音は一瞬で打てるべきであり、薬指中段への同手連接は薬指を無理して曲げるので弱いイメージがあります。

「び」「づ」が打ちにくい。「ぐ」も入るかなぁ。

特に「び」は打ちにくい。これは濁点キーのシフト面が定義されているためで、シフトを離すの忘れると「ひわ」になってしまう。

 

「す」「に」「れ」が下段。

人差し指以外の下段は窮屈なので、日本語文に普遍的に現れるこれらの文字が下段なのはどうでしょう。

句読点についてはQWERTYと同じですが、休憩ポイントなので下段でもいいかなと思ってます。

小指下段の是非は人によって違いそうですね。私は上段のほうがまだマシです。一体型キーボードでややハの字に構えているからかも。。

でも継配列のときは小指下段も重くした記憶もあるので、人のこと言えなかった。

 

「け」「を」

薬指上段は私の一等地。薬指を伸ばして打てるのはうれしい。なのでもう少し重いキーを置きたい。

私なら右薬指上段を濁点にするかなぁ。

 

「ー」の薬指下段シフト面はやはり打ちにくい。

長音は頻度低いのに少し優遇したほうが良いのは随所で語られていて、私もそう思います。

 

「ら」はシフト面。

これは単打にしたい。「れ」「る」が単打だし。。

 あと自分の中でどうも「ら」は主張してくる文字なので、シフト面にあると微妙と感じました。

 

「そ」「け」「あ」「つ」は単打じゃなくて良い気がしました。

「ち」はグレーゾーン。

この辺は人差し指のシフト面と小指の単打、どっちが好き?という類の議論が必要で、難しいところでしょう。

 

タイプウェル100秒くらいまではやったほうがいいかもだけど、、連続シフトの使用感や作文での性能がまだ掴めてないので。

でももともと速く打つための配列ではないし、ここら辺で切り上げようかなぁ。他にも気になっている配列あるし。

でも新JISは一定の市民権を得ているにもかかわらず打鍵動画が一切存在しない稀有な配列なので、動画一番乗りしたい気持ちもありますね。。。

 

  

 

 

連続シフト方式の二面性

連続シフト方式は楽さは売りですが、配列界では"遅い"とされます。

これは連続シフト方式といいつつ連続的にシフトが成立するケースが少なく、実質的に「断続シフト」が主となってしまっているせいです。

 

新JISの連続シフト方式が使いにくかったから配列界で中指シフトを代表とする前置シフト方式が編み出されました。新JISとは反対に親指シフトNICOLAが生き残ったのは同時シフト方式には連続シフト方式のような煩わしさがなかったからと思われます。

 

でも高速タイパーお墨付きのQWERTYやJISかなは連続シフト方式の配列です。

そこでは連続シフトは"速い"のです。これはどういうことなのでしょう。

 

JISかなは単打が多いから連続シフトの影響が注目されなくても仕方ないのですが、

QWERTYではそうは言ってられません。ローマ字ではなく英語の話です。

英語圏では大文字を使いまくるため、どっぷり連続シフト方式です。

そして英語タイパーはめちゃくちゃ速い人が多いです。

トップに君臨するのはSean Wronaですよね。 タイプレーサーの記録を覗くと

https://data.typeracer.com/pit/profile?user=arenasnow

速さが200wpm = 1000字/分越えです。驚くことに、これは平均の速度です。

タイプレーサーは2分以内の実用コピー打鍵の土俵ですが、タイプウェルよりは長いです。 

最高記録は271wpmらしい。やばい。打鍵速度はローマ字のトップタイパーより上です。ローマ字にはシフトがないにもかかわらずです。

英語ではロールオーバーしやすく、シフトのデメリットがあっても理論的なトップスピードでローマ字を凌駕するのでしょうね。

 

説明が後になりましたが、シフトを押している間だけシフト面が有効になるシフト方式を"連続シフト方式"といいます。

(前置兼連続シフト、同時兼連続シフトというのもあります。)

その名のとおり押している限りは"連続で"シフトかかるわけですが、

実際には常に連続的にシフトを使っているわけではありません。これが混乱のもととなっています。

 

たとえば「QWERTY」という単語でシフトを6回押す人はいないでしょう。大文字英語は連続シフトの代表例ですね。

でも「U.S.A.」はどうですか?ピリオドもちゃんと打ってください。めっちゃくちゃ打ちにくいと感じたのではないでしょうか。

「Please」とかはどうでしょう。これは意外と打ちやすいですね。

 

小書き連続シフトのJISかなではどうかというと、

「しゅみ」はめちゃくちゃ打ちやすいですね。

「しょう」はやや打ちにくい。シフト離すのが少しでも遅れると「しょぅ」になってしまう。

「いぇい」はめっちゃ打ちにくいです。これはJISかなタイパーから忌み嫌われている言葉です。

(ちなみに私がいろは坂配列で小書き別置仕様にしたのは「いぇい」のせいです)

 

連続シフト方式が煩わしいと感じるのは、文字の前後でシフトをタイミングよく押したり、離さなくてはいけないときです。

 

あるシフト文字の前後でシフトキーを離す必要があるかどうかについて、連続シフト方式におけるシフトを以下のように三種類に分けて考えることを提案します。

 

①連続シフト :シフト文字前後でシフトを押しっぱなしでもよい

②半連続シフト:シフト文字前後どちらかはシフトを離さなくてはいけない

③断続シフト :シフト文字前後両方でシフトを離さなくてはいけない

 

そして、連続シフト方式といわれる配列が、実際にどのシフトに頼っているかというと

JISかな → 連続シフト

英語QWERTY → 半連続シフト

新JIS → 断続シフト

ということになります。

 

雑ですがTypelighterで実験しました。

f:id:menmentsu:20200614014455p:plain

連続シフトのABC、半連続シフトのAbc、断続シフトのaBcを自然な速度で打ってみたところ、

速度比はだいたい14:9:7になりました。

「シフトのタイミングに気をつける」事がざっくり1打分の重みがあると考えていて(低速域ならもっと軽く、高速域ならもっと重い)、

そう考えるとABCは3打、Abcは4打、aBcは5打の重みがあるので速度は5:4:3、すなわち11.7:9.3:7になりそうですね。

実測値と比べると、連続シフトについてはじゃらっと打ってしまったので速く出ているとして、だいたい傾向はみれているでしょうか。

 

JISかな、英語QWERTYではタイパーレベルの速度を出す人がたくさんいるので、半連続シフトまでは高速タイピング可能であるが、断続シフトは全然無理ということが想像できます。

 

断続シフトが打ちにくいから新JISは受け入れられなかったのでしょう。

新JISは実は良い物だったという説もありますが、そもそも新JISを使っている人が全然いませんし、

今日時点で打鍵動画がいっさい見当たりません。

タイパーレベルの打鍵なんていらないんだから速度はどうでもいいという軸もありますが、

多分新JISでは800字/10分程度が限界な気がします (大岡さんが仰っていたか)。

800字/10分はとりあえず十分な気もしますが、1.3字/秒はやっぱ遅いし随所で不便しそうです。

もちろん断続シフト以外にも問題はいろいろとあるから、あのコンセプトの中で配列を自分用に最適化すればもう少しいけそうではあるけれども。。

 

連続シフトというとシフト文字の連続についてカウントしがちですが、

どうもシフトを頻度低い文字を当ててかつ連続させるというのは日本語的に相当難しいっぽいです。

それより強調したいのは「シフト押しても押さなくとも変わらない文字」の存在ですね。

 

JISかなは単打が主体の配列でありますが、連続シフトも実は強力です。

単打が主体だからこそ、シフト押しても押さなくとも変わらない文字が多く、連続シフトや半連続シフトが成立しやすいわけですね。

断続シフトは「いぇい」「つっよ」くらいしかほんとに思いつきません (まだあると思いますが)。

また、小書きの「ょ」「っ」という頻度が高いものまでシフト面に行っているからたまに批判対象となりますが、

でも連続シフトのコンセプトをはっきりさせているからこそ連続シフトの可否が判断しやすいです。初見の文でも連続シフトを活用できることでしょう。

促音・拗音が連続する場面はたくさんあるので、たとえば

ちょっと、ちゃくちゃく、しゅしゃせんたく、ちゅっぱちゃっぷす

良い例が思いつきませんが、無限にあります。カタカナ語なんてとりあえずシフト押しっぱなしでいいやという感覚です。

でも小書きシフトとして統一してしまったがために「~ょう」が半連続シフトになっているので、もったいないですね。JISかなを使っていても気を遣うポイントとなっています。

 

英語QWERTYではアルファベットには全て大文字がありますが、スペースがシフトの有無で影響受けないことが肝です。

なぜなら大文字は単語の頭、すなわちスペース直後にあることが多く、単語の内部には滅多にこないからです。

英文の大文字は文頭にくるものがほとんどですが、これはほぼ必ず半連続シフトとなるわけです。

英語で連続シフトというと「QWERTY」のように大文字ばかりの単語が印象的ですが、

実はもっとよく登場する「I」も前後がスペースなため連続シフトです。

 

連続シフトを採用している新配列が薙刀式ですが、連続シフトは6%だそうです。

oookaworks.seesaa.net

でもたぶん、そこでの連続シフトはシフト文字の連続のカウントであって、

私が話題にしている連続シフトでは前後がシフト文字でなくともシフト押してもOKならカウントするわけで、

そういう連続シフトまでカウントしたら6%より全然上がりそうですね。薙刀式以外の新配列なら連続シフト面がびっしりだから関係なさそうですが。

話をややこしくしてしまったかもしれない。。

 

大岡さんから刺激され気づいたことは断続シフトが相当数あっても、相互的に考えて連続シフト方式は創作文と相性が良いということで、

たしかに対立する前置シフト・後置シフトはトップスピードは高いが思考を邪魔する気がするのは私にもわかってきました。

作家といえば親指シフト = 同時打鍵という印象でしたが、ふつうの連続シフト方式も全然アリなのでしょうね。

創作文ではコピー打鍵と違って打鍵を変に圧縮することもないから、断続シフトであってもシフトのタイミングにそこまで気をつける必要はないと思われます。 

 

 

新JISのマイナーチェンジで断続シフトを減らして高速打鍵を可能にするには、

①キー数増やす

②シフト方式を増やす

のどちらかしかないでしょう。

①はホムポ一列ずらしでJISキーボードの3段をフルで使えば、左小指も2列になるけど可能です。タイパー向けならよさそう。

②は ぁぃぅぇぉ だけでも小指シフトに逃がせばシフトを押しても変わらない文字が増え、よさそう。小書き同置化も一気にやりやすくなります。

①②両方実行したら月配列並みの速度になったりしそうですね。

 

実は今日、そのような配列を作り始めようか一日中迷っていましたが、

まぁ結局いろは坂配列が自分にとって良い配列だよなぁなんてこの記事を書きながら思いつつ、

でも気が向いたら着工するかもしれない。。

 

 

 

 

個人的配列葛藤

生涯、配列なに使っていけばいいんだろうなぁと改めて考えてみたら例のごとく盛大に沼ったので雑記。

 

QWERTYとJISかなのタイパー的経験から、いろは坂配列をつくった。

実はいろは坂配列を開発した時点では他の配列に意図的にあまり目を向けなかった。

それはタイパー的最善を尽くすにはどうすればよいか完全に分かっていた気がしたし、

自分が50超える単打に適応できる自信も(どういうわけか)あったし、

あと、他所の配列のことは詳しく知らないほうがかえってオリジナリティのある良作ができるのでは、などとも思っていたのであった。

 

現に個性ある一品になったし、

自作配列でZホルダーは自慢だし、

普段使いでも一切困ってないし、

この程度のブログは快適にかけるし、

配列開発を通じて自分の新たな能力に気づけたし、

いろは坂配列を作ってよかったなぁと思う。

 

それでもたまにいろは坂配列で本当によかったのかなぁとか、思うわけです。

いかんせん開発期間が短すぎなのもあり、違和感覚える箇所はあるわけで、今更微調整しようかなぁとも思うけど、

微調整するくらいならいっそ全く異なった配列を作ってしまおうかなぁとか、

一方でもはや後戻りできないくらい練習してしまったなぁとか、

いろいろ思うわけですね。

ただそれも、タイプウェルで更新が沼ったときくらいであって、別に更新してしまえばいろは坂でよかったんだ、以上となった。

 

それがこのブログ程度の作文を始めただけでも、いろいろと思うところがある。

拙い文章しか書いてないかもだし、この記事はもう雑記として思い付くまま書くけれど、そもそも私は文章が本当に書けなかった。

ブログはじめた頃の以下の記事で私の作文レベルがよくわかる。

生産性を上げたいと本気で思っているか - いろは坂配列練習道場

自分の頭の中ではストーリーが成り立っていて、書いているときも別に違和感ないんですけど、一歩引いてあとで眺めるとわけわからない感じがしますね。。今もそうなんですけど。

 

いま、いつものキーボードを会社に置いてきてしまったのでサブのパンタQWERTYでブログ書いているが、だるい。

こんなにQWERTY下手だったかなあ。というか、指が楽を知ってしまったのだろう。

別に本気出せば速く書けるんですが、本気出さなきゃ書けないのか。。というような感じ。

創作文というタイピング土俵がようやくわかってきた。そして、それは作文を習慣化しなくては全く分からないだろうであったこと。

大岡さんの記事を読みすぎて洗脳された感(語弊ありまくり)あるけれど、当時わからなかった大岡さんの理論や経験が、想像もあるけどなんとなく分かるようになった。

 

断片的だけど、

小指使わないで薬指もやや頻度低いほうがいいのはそりゃそうだ。

私は指の能力的に小指と薬指もある程度動くけれど、そういう問題ではなくて、

単に神経使うんですよね。小指と薬指を使っているときは別の脳細胞を使っている感じがする。筋肉も使う。

神経を使うことはたぶん、退屈なコピー打鍵を退屈させないでくれる事に寄与しているのでタイパー的には楽しいけれど、

たしかに作文では邪魔でしかない気もする。

わたしは薬指を使っているときがもっとも外見の筋肉の動きが激しい。肘から手首にかけてめっちゃぴくぴく動く。これは不器用な薬指の性能を補うために発達した筋肉でしょう。

 

手書きの経験も、なんだかかんだタイピングに繋がっているかもしれない。

特に手書きは好きではないけれど、安心感はある。そりゃ幼少から洗脳されていたから当然だ。

人指し指と中指主体で、薬指は添えるだけ、小指は無視みたいな感じが落ち着く。

落ち着くというか、人差し指・中指なら思考を邪魔しない感じはたしかにする。

 

濁点後置シフト、私は好きだった。まぁ今も好きだけれど、創作文としてはどうなのだろう。

手書きでも濁点はあとから点々を書くのだから、手書きの感覚とも近いはず。

でも二打というのはたしかにだるいのでしょうね。

新JISとか、せっかくタイピングを点でとらえてぽつぽつと打ってても快適そうなのに、

濁音半濁音だけは線のタイピングとなっている。

親指シフトでトップスピードを犠牲にしてまで濁音を同時押しする理由がようやくわかる気がする。

たしかに一文字が一動作で打てるのは楽だ。濁点後置シフトは文字キーと濁点キーを常に線で結んで一瞬で打たないといけない気がするので(そんなこともないでしょうけど)、その配慮がだるい。

タイパー向けのいろは坂配列でさえも2打の濁音でタイピングのリズムがやや崩れる感じがする。

 

薙刀式は客観的にもEND GAMEになりうるのか。

同時押し配列はいつもタイプウェルをやってみてこりゃ無理だと思ってやめちゃうけれど、

そもそも同時押し配列は速く打つための配列ではないためタイプウェルで評価することが誤りな気がする(やっていいけどそれを土俵にしてはいけない)。

日常用として使ってみたいけど、3打同時押しがかえうちで出来ないから外で使えないなぁ。と思ったら今はQMKがあるのだった。

 

センターシフトだけは好きになれないかもなぁ。これも慣れか。右と左の親指の役割分担が無意識にできないのと、単打でスペース併用というのも違和感。

新JIS系列を左親スペース右親シフトで運用できるようにしたらシンプルアンサーかもなぁ。1シフトのほうが連続シフトも増えると思う。濁音2打には目を瞑るとして。

小指どうするかも悩みどころだなぁ。新JISは右小指2列なので、じゃあ左小指も2列にする?いや両方1列にするべきか。でもシフト率が。。。

 

というかせっかくいろは坂作ったんだから、コンセプトはそのままにして創作文も打ちやすいように改造したら?

ともふつうに思いますが、これ以上はやくしてどうすんの?とも思う。。

小指薬指節約の件もいろは坂で実行すると段越えが多発してやばそう。

あといろは坂の手を広げるホムポではまた、小指薬指の感覚は違う気がする。ふつうホムポの手を丸めるのだとなんだか鉛筆を持つのを真似したくなるが、手を広げるホムポだとピアノを真似したくなり、小指使うことが自然に思える(気のせいかも)。

 

というような事を考えるようになったのは最近、例の小指使わない新しいローマ字配列をぼちぼち打ってるからで、

少なくとも小指使わない快適さと、薬指を使う煩わしさを認識した。

一方で、どうせ速いタイピングは実用ではいらないなら、ローマ字配列でも良いのではとも思ってみている。

これもどうなんでしょう。作文のレベルがさらにあがるとやはりローマ字だるいわぁってなるのだろうか。

たしかにQWERTYには無駄が多い気もするけど、ローマ字自体も悪かどうかは今のところわからない。

 

ローマ字配列を使うにはタイピングを線で捉えて脳内での打鍵の組み立てが必要だけど、配列自体は簡単だから組み立ては楽。

ローマ字は覚えてしまえば、シフトという概念がなくなるのもよい。誰も5つの後置シフトかな配列を操っていることに気づいていないと思う。

タイパー活動にも使えるのがいいですね。

 

かな配列はタイピングを点で捉えてぽつぽつ打ってればよく、必ずしも打鍵の組み立ては必要ないけれど、でも本気になっていざ組み立てようとすると超難しい。

30キーではシフトの概念が絶対に必要にあり、しばしば無連想。

さらに小指を使わないように24~26キーあたりにすると、月配列系でもローマ字の打鍵数に匹敵するようになるので、頑張って無連想シフト面に適応する甲斐がない。

あと楽をしたければ同時押しor連続シフト系だけど、これらでタイパー活動はほぼ諦めたほうがいいと思っている。Xタイパーにはなれると思うけど、縛りゲー感がすごそう。

 

要するに今までいろは坂配列によって配列沼を回避してきたのだけど、

ひとたび速度以外の重要ファクターを意識してしまうと盛大な沼に飲み込まれそうという話。

なんかびびっとくるコンセプトが降ってきたら作るだけ作ってみたい感あるんだけどなぁ。

 

QWERTYでここまで書けてしまった。30分程度。3000字弱。

何がともあれ君にはQWERTYで全く不便しないタイピング能力があるのだからもう新配列とか別にええんちゃう?という軸もある。これも私の沼を広げている。

はじめの1000字くらいは久々で不快だったが、まぁ慣れた。

でも書きたいことが既に明確にある場合はいいだろうけど、書きたい事がもやもやしてて思考が必要な段階でQWERTY使ったらやはりイライラしそうではある。

書く前と書いた後で、こんなこと書くつもりなかったのになんか書いちゃったな、、というのはQWERTYでは少ないかもしれない。現に上記はすべて既存の思考回路をなぞっただけのようにもみえる。うーん深い。

 

創作文で一番いい感じで書けるのはいろは坂配列だけど、これはQWERTYとJISかなとの三択で消去法で選ばれただけで、

いろは坂も作文を意識して設計された配列ではないわけで、

じゃあ作文を意識して設計された配列の使用感は当然気になる。

でも他のかな配列を1ヶ月も試そうならいろは坂配列の手続き記憶は相当破壊される。

 

沼から抜け出すにはタイピング活動に求めるなにかしらを切り捨てる必要があるのでしょう。

複数のかな配列を両立できない人間の脳が憎い。。