いろは坂配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

複雑な事象を一筆書きする意味

わたしは文章化が嫌いです。

なにが起承転結ですか。世の中の事象をそんなに単純な一本の流れで記述できるわけないじゃないですか。

実際には一つ一つの要素や因子が複雑に絡まっていて、それを一筆書きするとどうしても不完全なものになります。短所に目をつぶって長所ばかり主張する記事になったり、実際には誤りである事柄を読者に想起させたり。。

その点Twitterは好きですね。文章と呼べるレベルではないただの「つぶやき」を垂流せるので、そのときの気分で好き勝手発信できます。過去の発言との整合性もいちいち気にしなくていいです。良くいえば自由と柔軟性があり、悪くいえば無責任だとか、手のひらクルーということになりますが。

 

とはいえ、まったく文章化しない、よりは、なにかしら書き続けたほうがいいのかな、とブログというものをちまちま適当に始めてみて思うようになりました。

ありとあらゆる事象は単純に正しいとか間違っているとかでは分類できません。因子を分解すると、どんなことでもプラスの面とマイナスの面はあります。ある行動を実行することで得する人と損する人は必ず生じます。

ただそれでも、そのときは、その文章を書いている間は何かしらの立場に立って論ずることで、人々の理解を深めることができるはずです。必ずしも真に正しかったり、美しいことを述べようとする必要はありません。その立場でありうるストーリーを淡々と記述するだけでよいのです。

もちろんそれによって批判を受けたり誤解を与えることはあるでしょう。繰り返しになりますが世の中そんな単純ではありません。一筆書きで真実を記述しようとすること自体が愚かです。

ただ、いろいろな立場からいろいろなストーリーを想起し、発信することで、真実に近づくことはできるのではないでしょうか。曲がりなりにも世の中の理解への貢献はするはずです。本質的に事象を一筆書きする事自体が誤りなのですから、多少の誤解を与えてしまうのは仕方ありません。それでもその立場から見た事実や風景を7~8割型の精度で記述できていれば、いいのではないでしょうか。

どうせ文章に対する人間の受け取り方や記憶そのものなんて曖昧なことです。100%正しい文章があったとしても、人間はそれを真っ直ぐ受け入れることはできないでしょう。したがって、文章に完璧を求める必要なんてないのです。

ときに、自分が弱い立場の際に発信する場合では、誇張表現が必要かもしれません。今の私の状況からわかりやすくたとえると、大衆には全く知られていない特殊キーボード配列を発信する際、必要以上にQWERTYやJISかなの短所を強調する、というようなことです。ただそれでも「QWERTYやJISかなも実際は高速で打てる人はいて、、十分素晴らしい配列なんだけど、ぼくの配列のほうがもう少しだけ効率いいです!」みたいなこと言うよりはマシでしょう。後者では新配列の浸透が遅れるだけではなく下手したら誰にも興味持たれることもなく消えます (いろは坂配列やばいかも・・・?)。

当たり前のことを当たり前のように書いてしまった。なにより文章化すると自分の思考の整理になるのでよいかもですね。あとタイピング練習にもなるし (ボソッ