新かな配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

道具の発展には能力の無視が伴う

たとえば

・配列屋がタイプウェルの打ちやすさをベースに配列を設計し、文章作成の思考活動を無視する。

・自作キーボード界隈がキーボードの打ちやすさを重視し、高速タイピング界隈を無視する。

ということには共通点があります。端的に言うと親戚を無視しているという事です。キーボード界隈だけでなく世の中いろんなところでこの手のことはあるでしょう。現状に特段不満があるわけではなく何かを言いたいわけではないのだけど、まぁそういうもんだよなぁという事を書いておきたい。

 

何かを発展させるためには何かしらを無視したほうが効率が良いです。例えば文章作成能力はタイピング能力と思考力の掛け算で決まりますが、これ自体をゴールにするとタイピング練習と思考力の練磨を同時並行で進めなくてはならず、双方が足を引っ張って二兎を追う者になってしまいます。

また、a×b=c で c が同じ場合に a、bが異なる者同士でいがみ合いが起こってしまいますよね。「タイピング上手いくせに全然文章作成してないじゃん」「キーボード拘ってるわりに全然タイピング練習してないじゃん」「タイピング好きなくせにJISキーボードとかいう初期武器まだ使ってんの」とかいろいろあります。

もともと道具というのは限られた能力で最大限の仕事を生み出すために開発されるわけですが、 一方でその新しい道具のポテンシャルを引き出すにも一定の能力が必要になるわけで、道具と能力が切っても切れない関係である事がキーボード界隈全体の微妙な空気を生み出してると考えられます。

 

 

最近、薙刀式の大岡さんの記事をよく拝見してますが、作家さんはやはり日本語のプロだなぁというのをつくづく感じます。私とかは典型的な日本語のアマチュアです。書く作業はこの程度のブログが限界で (文章作成の世界を垣間見たいからブログを書いてみてる訳ですが)、業務でもメールと報告書くらいしか書く必要ないので高度に自分の思考が入る余地が十分にあるような文章を相手にしてないです (まぁ一般に仕事で求められるタイピングはこっち系のほうが普通だと思います)。手癖によって報告書の内容が変わったら仕事になりません。年10万字程度のアイデア帳はあって、そこでは自由に書いてるので手癖が出てたりしますが。。

大方の人は作家でもライターでもないでしょうし、たいした文章書く仕事じゃないならキーボードとか配列拘らなくてもいいんじゃないか説もありますが、でもまぁ私の周りの人達が不器用にQWERTY使ってたりエンターをッターン!してる姿をみるとやっぱデファクトの使いづらさが業務効率下げてそうだなぁという感想です。

他の配列の作者様も、またタイパーも特に作家やライターなどではなく、日本語のプロではないという認識です。文章作成能力はタイピング能力と思考力の掛け算で決まるとはいえ、その思考力を考察できるほどプロではないのです。じゃあどうするかというと、とりあえず思考力というのは個人差があるとして置いといて、タイピング能力だけ上げる努力をすればどうせ掛け算なので文章作成能力に繋がる筈だ、という仮定をします。それによりタイパー的評価に走るのではないでしょうか。

 

数値化できない「快適さ」しかアピールしないよりはタイピングソフトに頼ったほうが客観的に性能評価できてマシかとも思いますが、とはいえある人のある配列によるタイピング記録というのはかなり見方が難しく、誤解を与えるのでかえってよくないのかもしれません。例えば私は、QWERTYのZタイパーがとある新配列ではXタイパーだとしたら、その配列は高速打鍵に向いていないという見方をします。Xタイパーでも一般人から見れば超速いにもかかわらずです (飛鳥配列の件が有名ですね)。ある配列をタイピングソフトで評価するかどうかは意外と慎重になったほうが良いかもしれません。

いろは坂配列のように、そもそも配列開発のゴールを文章作成ではなくタイパー活動にしてしまうアプローチもあります。全力でZの速度 (200字/分くらい) で打てるようにしておけば楽にXの速度 (100字/分くらい) 出せるから日常で困らないでしょ?という雑なコンセプトです。これは創作文では100字/分以上が必要ない事を逆手に取った結果です。全力がX、楽にSのほうが適切かもしれません。いろは坂配列の是非はさておき、全力で超速く打てるようにしておけば、日常で楽にそこそこの速度で打てる筈だ、というのはまぁ有効ではないでしょうか。QWERTYでは選ばれし者しかXタイパー・Zタイパーになれないので、よりタイパーの裾野を広げるために新配列がある、という考え方になります。

しかしながら上記のようにタイピングソフトなどで用意された機械的な文を機械的に打つだけでは新配列の創作文での性能が担保できないリスクがあります。そもそも思考能力も実はタイピング能力の関数だったりします。短距離走で速くても長距離走も速いとは限らないという喩えもありますね。この辺の事情は大岡さんのブログを読むとたいへん勉強になります。薙刀式はプロの作家が創作文の場で設計したという点で特筆すべきですね。

 

 

自作キーボードでの事例も考えてみましょう。他所様のことは挙げづらいんですが、たとえば遊舎工房がタイパーやRTCの話題を拾った事はありません。それどころか「タイピング」すら話題にしてないのではないでしょうか (Twitter検索で「タイピング (from:yushakobo)」で何も引っかからない)。

むしろタイパー界隈への積極的な無視は自作キーボードの発展に大いに寄与しているでしょう。棲み分けは大事ですよね。そうでなければタイピングは苦手だけれど素敵なキーボードを設計できる人が活躍しにくくなってしまいます。

とはいえキーボード改良の目的は快適なタイピング環境の構築であり、快適なタイピングとはキーボードの相性と個人のタイピング能力の掛け算で決まります。どんなに無視し合ってもタイピング界隈は自作キーボード界隈と親戚であり続けます。

 

配列界隈の中でもまぁいろいろあるでしょう。例えばNICOLA親指シフトはゆっくり打つぶんに快適だけれど (おそらく) 原理的に速くは打てないので、高速タイピング界隈への無視、その他の新配列への無視が界隈の中で高度に浸透しているようにみえます。親指シフトは「新配列のデファクト」なので、界隈自体は大きい割にかなり微妙な立ち位置になっていて、立ち振舞に気を遣うのはなんとなく想像できますが。

 

私も人のこと全然いえず、上に挙げた件以外ではたとえばデファクトの高速タイパーの話題をあまり拾わなくなりましたね。悔しさとか妬みがほとんどかもしれませんが、高い能力に敬意を払いつつもまぁいろは坂配列を育てる上でテンション下がるんですよねwQWERTYを15打鍵/秒以上で高速で打つ能力は才能だと決めつけてしまっているので、もし才能じゃなかったらすみませんって感じです。

自キー界隈のほうはかなり興味ありますよ!ただいろは坂配列がJISキーボードで最適化され、またタイパー的にリアフォスイッチが最適解とされるので、なかなか市販品から脱却できないのです。。今はただ単に外から眺めて憧れてます。

 

 

ある物事を発展させたり布教するためにはしばしば親戚の界隈を無視せざるを得ませんが、あまりに度が過ぎると真実の探求からは逆行することになるので「無知」にならないように気をつけましょう。