マラソン感想② 創作文をコピー打鍵する
昨日の創作文を今日はタイパーとしてコピー打鍵しました。
なるべく意味を考えずに、目の前の文章を速く打つことだけに集中します。
TWFTで9999字までしか認識しかなかったから前半と後半に分けました (休憩はなし)。57分34秒で、1800字/10分ちょいくらい (これでもソフトではXタイパー未満という判定)。創作文では1時間24分50秒で1253字/10分でしたね。
タイプ数カウンターはこんな感じ。かえうち関係で色々複雑なのでBS・Space・Enter・無変換くらいしか正確な値ではない。
気づいたこと。
・創作文とは全然違う。創作文で使ってた脳みそがコピー打鍵では不要になるから、代わりに先読みを意識してキーボードを脳内で光らせてキーを取りに行く事に使ってるようだ。うまく言語化できないが脳の状態が全く異なり、打ちやすい/打ちにくいフレーズも変わる。そもそも速度が違うが、じゃあコピー打鍵でわざと速度落とせば創作文っぽくなるかというと全然そんな事はなく、考えることなく眠いだけで、創作文のリズムを再現できる訳ない (頭の中の忙しさが全然違うので精神状態が全く異なる)。
・体への負荷の掛かり方が違う。コピー打鍵では体が"痛くなる" (1~2時間で復活する)。創作文ではとにかく"凝る" (すぐには直らない)。創作文で使う筋肉はまだ鍛えられてないので、慣れればまた変わるのかも。
・修正多いですね。4段配列の宿命でしょうか。単に私の打ち方が悪いだけな気もする。
・いろは坂配列では句読点(確定付き)はシフトだが (スペース・エンター直後なら単打だが定着してない)、創作文ではあまり不快でなかったのにコピー打鍵では極めて不快だった。創作文なら区切りとなる句読点が若干時間かかっても良いのだが、コピー打鍵では句読点に文の区切りという意味はなく、減速の要因でしかない。 タイプ数カウンターでShiftが一位とはどういうこっちゃ (かえうち設定の細かい事情もあるのだけど、それにしても多すぎる)。
・無変換をあまり使っていない。カタカナはIMEの調教次第で普通の漢字変換と同様に出せるようになるから、その気になればもっと減らせる。カタカナ変換が単打なのはもったいないなぁと前から思ってはいる。
・創作文だと無駄に確定動作が増える。たとえば「わたし/は」のように助詞の前でエンターを入れてしまう。これは てにをは で悩んでブレーキがかかるせいであり、そもそもの日本語力の問題か。
というわけで再認識したいろは坂配列の問題点
・句読点を完全に単打にしたほうがよいのでは。創作文でも句読点シフトは今は気にならないにしても、これが流れるようなライティングを妨害してそう。句読点混じり文でタイパー活動はかなりきつい (もともとこれは捨ててたんだけど、さすがに句読点を無視できなくなってきた)。
・「の」はさすがに打ちやすくしてはどうか。いろは坂配列は中指と薬指を空けるホムポを採用していて、「の」はちょうどその間にあるのだけど、自分の動画みると左手は中指と薬指ほぼくっついてるんですよね。。それは、創作文では頻度が て<の になる事を無意識にわかっていて、薬指を の の上に置くようになったからと考えられる。「の」を軽視して得する場面はタイプウェルしかない。
いろは坂配列の良いところも挙げておこう
・ぽちぽち打つだけで文章が1000字/10分以上で進むので、単打はすごい。
・単語を"一動作"で片付けられる事が多い。よく出る短めの単語なら創作文でもじゃらっと処理できる。
私は配列に対してかなり寛容なほうで、人間の適応力を大きめに見積もってるのと、あと将来の不確実性も考慮してそもそも完璧を求めていない。なのですが、さすがにこれは要修正案件か。
アスリートであるタイパーにとって配列の修正は一ヶ月入院して半年離脱のようなもの。退院後なら日常ではあまり困らないが、競技の場に戻るには相当時間かかるし、離脱期間に体が鈍ることも考えるとそこまでして理論的な最善を目指さなくても良いように思われる。が、そのような考えこそがデファクトが居座り続ける温床になっているので、葛藤中。まぁそろそろ引タイパーしても良いのかもしれない。
特に大岡さんが仰るように、配列の出来不出来によって創作文の質が変わる可能性ありますからね。ZタイパーだろうがXタイパーだろうがそこまで人生変わる気はしないが、自分が書く文章が変わるとなると人生まで変わりかねないので、創作文目的の配列設計に恐れおののいてます。