ローマ字入力は英語も母国語も打てるから楽、は本当か?
ローマ字入力の利点でありカナ配列を否定する論理として「ローマ字覚えれば英語も打てるようになるじゃん」というのはよく持ち出されます。
たしかに英語から逃れられない現代日本人にとって、配列一つ覚えれば日本語のみならず諸外国語まで打てるというのは標準配列として捨てがたい利点ですね。
ただしカナ配列沼の住民としてはそれでもローマ字入力から脱却して日本語入力専用の配列を新たに覚えたほうがよい、と主張します。これはどのくらい妥当なのでしょう?
母国語がラテン文字ではない諸外国ではどうしているのか、ロシア語と韓国語についてみてみましょう。
ロシア語
ロシア語ではキリル文字を使います。基本的にキリル文字とラテン文字には一定の対応関係が認められますが、ya、yu、ye、yoに相当するя、ю、е、ёがあったり (軟母音)、shっぽい音はшとщ、chっぽいのはч、tsっぽいのはцというように、文字が多く30キーでは収まりません。つまりQWERTYでラテン文字を対応するキリル文字に置き換えていっても、余った文字の置き場所に困ります。
以上のような事情で、ロシア語ではQWERTYとは全く異なる専用配列が普及しています。
赤文字は音が最も近い(と思われる)アルファベットです。
ロシア語の知識がなくても分かるのですが、アルファベットでa、i、o、t、n、yeに対応する文字が人差し指担当で、人差し指の頻度が異常に高いことが想像できます。
実際、以下のサイトにヒートマップが載っています。
たしかに人差し指の頻度がすごいですね。初学者にとっつきやすい使いやすい配列と考えられ、まさにデファクトスタンダードにふさわしいと言えるでしょう。
ёがE/Jキーにぶっ飛んでるのは面白いですが、タイプライター時代ではこんなことはなく、込み入った事情があるようです (たしかにUSキーボードでは3段に納めるには1キーだけ足りない)。Macではエンターキーと同居してるらしいです。幸いёの頻度はかなり低く、実用的にはそこまで問題になってないと考えられます。
実はロシア語にはローマ配列に相当するフォネティック配列 (ニーモニック配列ともいう?) という第二の配列も存在します。Windowsの設定で用意されている程度には認知度があります。
こちらはラテン文字とキリル文字の対応がはっきりしてる文字を優先的にQWERTYに対応させ、余った文字を適当に散りばめるかシフトに追いやっているようです。母国語をQWERTYに無理矢理当てはめた点でローマ字と似てますね。単打の数が足りてなく、灰色のキーがシフトになっていて他のキーと組み合わた2打でローマ字的にю、ц、ёなどを入力するようですが、ちょっとよくわかりません。英語圏でQWERTY慣れした人がロシア語を学ぶ際には有用にみえますが、ロシア語キーボードの印字はもっぱら最初に紹介した専用配列のほうなので、普及はしてないようです。
まとめるとロシア語圏では以下の事情により、キリル文字用のロシア語キーボードと、ラテン文字用のQWERTY双方を覚えることが当たり前になっています。
・ロシア語標準配列が人差し指重視のタイピング初心者にやさしい
・キリル文字のほうがラテン文字より多いので、QWERTYでロシア語を打つにはキー数が足りない。
韓国語
韓国語には実はローマ字があります。たとえば以下のサイトが参考になります。
www.itskenn.com
一方で、韓国語には専用配列があります。この配列とローマ字の対応をみてみましょう。
対応するローマ字を赤字で併記してます。1キーに2字割り当てられてるキーでは上の文字を普通の小指シフトで打ちます。
さて、お気づきでしょうか。韓国語標準配列では左側子音・右側母音が徹底されています (yu以外)。日本では近年、種々のいわゆる行段分離系のローマ字用新配列が開発されましたが、韓国ではこれが標準として普及してるんですね。
行段分離系はコンセプトが単純で覚えやすい事と、打ちやすいと言われている交互打鍵が主体となることが利点です。一方で配列界では交互打鍵は最良ではないというような議論もあるのですが、ゆっくり打つぶんには確実に打ちやすいですし、標準仕様にふさわしいです。また、韓国語では子音同士が繋がる事もままあり (KIMCHIなど)、過度に交互打鍵が増えることもなさそうです。
また、韓国語も多少シフト文字はありますが3段に納まっていますね。単打文字は26あり、促音のシフトは連打でよさそうなのでシフト文字は実質2つです。ローマ字のほうを見てみると、ハングルとアルファベットが1対1対応してるケースは多くなく、2字や3字のアルファベットと対応してるものも多いですね。このようなケースで、わざわざQWERTY (アルファベット26) でローマ字入力する利点はほぼ無いです。
ハングル文字は、子音・母音を表すハングルをそれぞれルールに従って組み合わせることで入力します。パズルのようなもので、後置シフト方式によりうねうねと文字が組み立てられていきます。ハングルの仕組みはたとえば以下のサイトが参考になります。
http://moija.info/romanization-of-korean/
この点で片仮名の字形の組み合わせを利用した葦手入力や、線を切り継いで片仮名を入力する継配列と似ているかもしれません。
まとめますと、韓国語では以下の事情でローマ字入力を回避しています。
・韓国語の標準キーボードは行段分離型であり、初心者にとって打ちやすい。
・ハングル文字とアルファベットの数はほぼ変わらず、またローマ字入力では打鍵数は増えるのでQWERTYでローマ字入力をする利点に乏しい。
というように、韓国人もロシア人もキーボード配列を2つ覚えるという壁を乗り越えています。
なぜ日本人は真似できないのでしょうか?それは次の理由です。
・かな文字が多すぎて、単打を重視したかな入力では配列が4段になり、習得難易度が跳ね上がる上に数字段が犠牲になる。
・3段のかな配列では特殊なシフトを用いるので、シフトのルールを習得する必要がある。また直感的に打てる単打が少ないので慣れるまで時間がかかる。
・JISかな入力からQWERTYローマ字にすると打鍵数が1.4倍になるが、キー数は1.8倍少なくなるので (50(シフト有)→27(句読点ハイフン有QL無))、後者のほうが簡単と感じる人が多い。
・ローマ字規則は(細かい事に拘らなければ)単純であり、日本語の行段とうまく対応する。
・QWERTYに不信感がある人もいる一方で、実力のあるQWERTY信者もいる。QWERTYを上手く扱えていないにも関わらず自分がタイピングが上手だと誤解してる層もある (打鍵数多いので錯覚しやすい)。
・QWERTYローマ字入力で万人に共通の致命的な欠点が(偶然にも)ほぼない。
・QWERTYの仕様はスポーツカー的であると言われていて、タイピングゲームを楽しむには向いていて速い人は速いが、決して万人受けはせず、ホームポジションが軽視されていて普段使いでは疲れやすい。
・日本語では漢字変換に時間を取られるので、ローマ字入力では5打/秒以上で打たないと実用的な入力速度にならない。漢字変換を必要としない言語に比べて要求タイピングスピードが高い (行段分離ローマ字配列で楽に到達できるか微妙なライン)。
やたらと挙がってしまった。韓国とロシアが出来ているんだから、日本でも万人が日本語専用配列覚えたっていいでしょ!という結論になればよかったのですが、日本ならではの特殊事情が多いにありますね。
多いカナ文字数/意外と単純なローマ字規則/違和感ありつつも何とかなってしまうQWERTY配列/人間が10指以内で楽に扱えるキー数/日本語で求められる入力速度
これらの関係性が面白いくらい絶妙に噛み合ってなく、日本語キーボード入力の盛大な沼を作り上げ、そもそも沼を回避するためQWERTYローマ字へ譲歩する人が多いのでしょう。