めんめんつ完全敗北[長距離タイピング爆死記録]
どうも元短距離タイパーのめんめんつです。
長距離タイピングをナメた結果、1時間で肩が吹き飛ぶこととなりました
きっかけは例のマラソンライティング。休みなしの長時間タイピングでとにかく肩が凝ったんですよ。まぁそれだけなんだけど、私は人生で初めて肩が凝ったらしく、しかも不治の病の様相を呈し始めて絶望している。
非間欠的に打つことを覚えて楽しくなってしまい下手に調子乗り続けたのもよくなかったかもしれない。
動いてるときはほぼ違和感ないが、ただ座って静止してるときが凄まじく疲れる。パソコンの前だけではなく飯食うときも気になった。。今もあぐらかいてスマホフリックで書いているが肩を動かさないせいでどんどん痛くなってくる。重石を乗せられていくような感覚で、筋肉がつる一歩手前のような違和感。
なにがたち悪いって、寝ても治らない事。そしてどうも安静にしてる事が苦痛なので肩は動かし続けないといけない。それによりさらに肩に荷がかかるわけで一生治る気がしない。
大岡さんや自作キーボードの皆様の土俵がよくわかりました。
たとえば左右分離キーボードとか何が良いのかちょっと前まで一切わかりませんでした。楽なのはわかるけどちょっとやん、リアフォ使えないやん、めんどくささが勝るやんて感じ。
今は少しでもいいから肩への負担を減らしたくてしかたない。。ただ左右分離でも根本解決はしなさそう。
マラソンライティングで大岡さんに「いきなり1万字は危険ですぞ」といわれてもピンとこなかったし、そのとき既に肩は凝ってたけどこんなに治らないとは思わなんだ。
この世界が分からない人は遅くてもいいから1時間ぶっつづけで打ち続けるだけでよく分かりますよ。その後の身体の保障はできませんが。
不思議なのは私はタイパーとして1日で10万字を好きにコピー打鍵するのは全く大丈夫だったということ。
コピー打鍵と創作打鍵での疲労差はまだ分からないけど、コピー打鍵では一番自分が楽な速度・楽なフォームで打てるしそれに気を配る余裕もあるのに対し、創作打鍵ではなにかと必死で自由なタイミングで打てないし、思考を指が楽をすることに向けられない。
あとタイピングの疲労度は打鍵数というより筋肉の緊張時間がものをいうっぽい。速く打つからって必ずしも疲れるわけではない。
たとえばQWERTYのTはホームポジションから遠くて指を伸ばすから疲れの原因となるが、速く打てば打つほど指が伸びる時間が短くなり、結果として楽に打てる。非合理と言われるQWERTYに不満を言う人とそうでない人で差が大きい理由の1つだ。
ゆっくりでも手を止めないように打つと脱力を意識しても肩から指先にかけての筋肉はどうしても常に緊張していて、負担はタイパー以上になる。間欠的に打つように変えるだけで緊張時間は半分以下になる(ただし間欠的タイピングは思考を捻り出すのには向いてなさそうだから沼)。大岡さんが速筋と遅筋の話題に触れてたけれど、速筋であれば酷使でぶっ壊しても筋肉痛を経て再生するように設計されてるのであって、再生力がかなり低そうな遅筋を酷使するような手段は肉体からすれば非合理なのかもしれない。
よくよく考えると、タイパーなので別に1日10万字打鍵しても疲れないというのは、次のような条件があった。
・1分以上ぶっ続けで打つことはなく、随所で休憩してる。
・速く楽しく打てればそれでよく、外見で美しいタイピングは目指してないから、肉体運動として無駄はある。
・体全体、または一部をなるべく動かさないように意識することはない。
・タイパーとして長らく使ってきたのはJISかなとQWERTYで、これらは静かに美しく腕を固定して打つのはほぼ無理で、逆にいえば常に肩が動いていたわけで肩凝りになりにくい。
JISキーボード配列だと右上がバックスペース、左上が半角全角キーでこれは配列論から言って不合理の極みなのだけど、肩からしたらほどよい運動ポイントであり、凝り防止にはなってそう。皮肉なものだ。
体の部位が凝る事に関しては、効率が良いとされる配列(ホームポジション重視、無駄な運動を極力排除)のほうがかえって悪影響を及ぼすにだろう。凝らないようにするには各部位を動かし続けるしかない。
いろは坂配列も指の範囲は広いがホムポは重視しており、デファクトよりは肩が凝りやすいと考えられる。少なくとも非間欠的なタイピングはやりやすいと思う。でも最近、そのいろは坂配列をさらに改良して楽にしようとしていたのだけど、楽なほど凝りやすいならちょっと待ったほうがよさそうだ。
ピアニスト、よくあんだけやって疲れないなぁ、毎日練習できるよなぁと思います。こちとらじっとして指先だけを動かし続けるのでも疲れるのに。
そういえば私フルート10年間やってましたが、肩が痛くなったのは初めの一週間だけでしたね。単に若かったからもありそうだが、それだけではない。
楽器の奏者は基本的に静止しない。リズムを踏まえて音楽を体全体で表現する。練習のときも微動だにしないなんてことは全くない。ピアニストも指先だけで、あるいは腕だけで演奏する人なんて想像できないだろう。フルーティストも演奏時は体全体をうねうね動かしてる。良い意味で無駄な動きにあふれている。
でも今気づいたけど10分以上休みなしで演奏することはないですね。彼らも1時間指を止めずに演奏したら間違いなく大変なことになると思うから同類かもしれない。
それにしても腕を肩から吊っているのはタイピングのときだけではないのに、なぜタイピングばかりが肩凝りの元凶になるのか。
例えばふつうの散歩で肩が凝るなんて聞いたことない。数時間のハイキングであっても疲れるのは肩ではないだろう。つまり常に腕を前後にゆさぶってるおかげで部位が凝り固まることがなく疲れないのだ。
自転車で肩凝るイメージもない。今の私はかなり最悪の肩凝り状態だが自転車通勤にはなんら支障はない。ずっと同じ姿勢で一本道をゆくロードバイクだと凝ることもあるかも?
肩凝りの経験から次のことを実感。
・肩凝りから楽に解放されるには、筋肉の緊張を解くタイミングがいくらでもある間欠的ライティングで妥協したほうがよさげ。
・無駄のないタイピングほど肩が凝りやすい。
・良い配列は相応の良い道具を求める。
散歩のときに手を前後に振るような、その程度の心地よい運動をさせてあげることも配列には必要なのかもしれない。
かといって無駄に打ちにくいパターンを配列に仕込んだら腱鞘炎製造マシーンになるので気をつけたい。
悪あがきかもしれないが私は可動式アームレストをぽちった。そういえば叔父の家にあったなぁと思い出したので。間違いなく肩は楽になると思うし肩凝り防止には良いだろうけど、既に肩が凝ってる人には関係ないかもしれない。。
私は生まれてこのかた文章書くことに興味なかったが、いろは坂配列を手に入れ、こういうブログを始め、ライティングをちょっとかじっただけでだいぶ人生楽になるなぁと気づいてしまった。ブログはもはや娯楽だし、仕事でも長文メールをさらっと書けるだけでかなり有利だ (年寄りはタイピングをめんどくさがってすぐ電話してくるが)。報告書もいくらでも適当に書けるようになった気がする。
とはいえ上の例はみな5000字/1日以下のタスクだから間欠的な中距離ランナーを目指せばよいかもで、肩凝りとはだましだまし付き合ってく感じになるのだろうか。
もう少し若い頃から長文訓練してれば強肩になれただろうなぁ。とはいえ年取って思考力が上がるのはいいけど忘却も早くなるから網羅的に書き留めないとやばい、というのがこのブログを続ける別の動機である。そういう危機意識は若いうちにはないから、ブログや日記書く程度でも難しかったかもしれない。
てか今はまだ平気だけどもし寝っ転がってても肩が凝るレベルになったら不眠症になり色々と詰むのでは。。