面倒くささに気づくこと
面倒という感覚はどこからくるのか。
私は特にガラケーに困ってなかった。スマホが台頭してきても粘ったほうだ。
iPhone6が出たときにはもうガラケーが品薄になってたこともありスマホにしたけれど。
スマホを手にしてからも、別にガラケーでよかったんじゃないか?と思うこともしばしばあった。
スマホは高機能すぎて面倒に思えた。使いこなせなかったし、使いこなす用途もなかった。
ただその後いろいろアプリを入れるようになり、スマホでしか出来ないことに手を出すようになった。また、特に地図ツールの快適さに感動した覚えがある。ふつうにPCみたいにサイトが見れるのも凄い。
というようにして、スマホは高機能で面倒という認識から、ガラケーは低機能で面倒という認識へとすり替わっていった。
では、ガラケーだけしか触ったことない人にガラケーの面倒さ、スマホの便利さを伝える術はあるのか。
私ははっきりいってNO IDEAである。
ガラケーで満足してる人にスマホを押し付ける道理がどこにあるのか。
自発的に面倒くささに気づくのは難しい。
たとえば、PCを買い換えた直後に、はじめて今までこんなに低スペックで不便していたことに気づくとか、
また、メガネを初めて買ってはじめて自分の視力がこんなに低かったのかと気づくというようなもの。
上の世界を知って初めて今までの面倒くささを自覚する。
ガラケーからスマホへの転換で重要だったのは、やはり同調圧力だった思う。
周りがみんなスマホになっていったから渋々スマホに変えた。LINEのようにスマホでしか出来ない事をみんながするようになった、というのはスマホ移行動機としてあるあるだろう。
ただもともと同調圧力が強すぎればガラケーからスマホに置き換わることもなかったはず。でも同調圧力はガラケーで粘ることではなく、スマホを一早く普及させるために働いたようだ。
数値性能的には明らかにスマホのほうがよかったから、そういう機器が好きな人であれば個人的な理由でスマホに移行するのは理解できる。スマホはミニPCだ。
また、人柱的な目的で新しいものに果敢に首を突っ込む層もいたことだろう。
というように、確実に良いものが出れば、保守的な同調圧力に逆らって首を突っ込む層は必ずいる。
そこでポイントだったのは、スマホは一度触った者を逃さなかったからだと思う。
スマホを使いこなした者は絶対にガラケーに戻ることはできない。といったらさすがにいいすぎだけど、少なくともガラケーに戻る人は身の回りでそうそう見当たらない。
パラダイムシフトは二段階からなり、一段階目は人柱の確保、二段階目が同調圧力による浸透。
いつもの話に戻れば、QWERTYから新配列の置き換えは今後どのように進むのだろうか。
親指シフトは配列界で唯一、二段階目の同調圧力による浸透のステージまで到達した配列だ。爆速で打てるという評価は経緯はともあれ固まったので広まった。結局QWERTYを駆逐するには至らなかったのは評価の客観性が不足してたからだろう。でも最初から客観的に評価がなされていればNICOLAは全く流行らなかったかもしれないし、難しい。
新下駄配列では評価は固まってきてるようで、二段階目に踏み入れようとしているようにみえる。「新下駄は速く打てる。なぜなら新下駄を習得した人はみんな速く打てているからだ。」と思っている人は多そう。少なくとも私もそう思っているし、誰でもXタイパーになれる唯一の配列だと思う。
でも多くのマイナー配列、いろは坂もそうだが使用者が開発者しかおらず、二段階目はおろか一段階目にすら届かないものも多い。親指シフトの後続がなかなかでていない現状だ。
スマホのように、新配列も獲得した使用者を逃さなかったかというと、残念ながら右回れした使用者も多かったと思う。もちろん新配列が良くても環境的にQWERTYの呪縛から逃れられず断念した人も多い。一方で新配列は使用感としてもなんかしっくりこなくてQWERTYに戻ってしまう人もいる。
そもそもQWERTYがガラケーで新配列がスマホかというと、一概にいえない。むしろ逆の見方のほうがしやすい気がする。たとえば親指シフトはむしろ文章作成に必要最小限の機能しかないようにみえ、そのガラケー的なシンプルさが魅力ではなかろうか。QWERTYならタイパー的打鍵が可能だったり、高速アルペジオを習得しやすく打ってて楽しいという魅力はあるようだけど、そんな機能は実用上不要とみなされても仕方ない。
新配列を触ったことがあればQWERTYの面倒さを相対的に認識できるが、
新配列を触る前に絶対的な指標でQWERTYの欠点に気づくのはすごく難しいと思う。
最初のきっかけを掴むのは、腱鞘炎になりでもしない限りはほぼ無理なんじゃないか。それでもQWERTYでさえも腱鞘炎になるには一日平均数千字は打たないといけないと思うので、そのレベルでタイピングに没頭してはじめて痛覚により「この配列おかしくない?」と気づかされる。
でも腱鞘炎になってからでは遅いから、その前になんとかしたいものだ。