いろは坂配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

(雑)ぼくが同時打鍵できない理由

個人の感想でしかないし、真面目に腰を据えて同時打鍵を特訓しようとしたこともなく食わず嫌いほどではないけど一口目でやめてしまうレベルであり、雑談でしかない。

 

同時打鍵が苦手なのはQWERTYを打てる人しかいない気がしていて、んで同時打鍵を必要とするのはQWERTYを打てない人だから、この議論にあまり意味はないと思ってる。

ただもしデファクトに同時打鍵配列が採用されたら同時打鍵が性に合わない人が出てくると思うので、

私の同時打鍵に対する苦手意識をとりあえず書いてみる。

 

同時打鍵は手書きに喩えると、1画目と2画目を同時に書いてくださいといわれるようなもの。

まずペン (=指) が二本必要となる。いくら手書きとはいえペンの二刀流で書く人がいたら、それは同じ手書き (=タイピング) と言って良いのだろうか。

同時打鍵論者はわたしからみれば、ペンを2本使ったほうが速く楽に書けますよと言っているようにみえる。

言ってることは理論的にたぶん正しいのだけど明らかに異端だし、書き順 (=連接) という一本のペン先が描く流れを軽視している事に違和感を覚える。

 

タイピングで速く打つには打鍵の組み立てが必要で、私だけではないと思うけど脳内に描かれているキーボード上に一筆書きのラインが現れる。このラインに沿ってなぞるのが私にとってのタイピングだ。

もちろん一本指じゃないし、なぞるといってもライン上の数点を一番近くにある指で順次タップするだけなのだけど、一本道でイメージするのが重要。

無意識化されるとキーボードが脳内に現れなくなり指が勝手に動くだけになる。漢字を書く時もペン先が勝手に動くような感覚で、一画ごとにいちいち頭で考えてないよね。

  

ペン2本の例に戻るけど、たとえば二本線を書くだけなら確かにペン2本使ったほうが速いだろう。でも字を書く上では書き順という流れが決まっており、それに逆らってまでペンを2本使うメリットはあるだろうか。

ペン1本でも素直に流れ通りに書いたほうが結果的に速そうだし、頭も疲れなさそう。書くのが上達するにつれペン1本でもすらすらと書けるようになり、ペン2本使うメリットはなくなってきそう。

  

ペン2本でも別途書き順を定義すればいいけど、右手と左手を同期や連携させながら字を書くのは理論上は速くても面倒すぎてとてもじゃないけどやってられない。

 

さらに文字を書き順通りに書く時、それぞれの画にかける時間は毎回同じだろうか。

たとえば「三」って書く時、急いでるときはしゃしゃしゃっ、って感じで、どの線もほぼ同じ時間ですばやく書くだろう。

でも気持ちを込めて書くならどうか。極端な例が書道で、私は全く知らないから適当に想像でいうけど、1画目は等速気味でややゆっくり、2画目はすばやく、3画目は出だしは筆圧上げてやや速めで筆を返すときに気持ちをこめてしゃっとする感じだろうか。

 

同じ漢字であっても毎回同じように書くとは限らないが、別にペンを1本しか持ってないならこれはあまり関係ない。どう書こうがシングルタスクで、2本目は1本目を書き次第、3本目は2本目が終わったら。。というような作業でしかない。

 

ところがペン2本使うとマルチタスクの問題になる。

たとえば「三」を1本目は片手で書き、2本目と3本目はペン二本使って同時に書くとしよう。

まず1本目を書いているときは片手が暇になる。右手で書いているなら、左手はなにもせずタイミングだけを伺っている状況だ。これはペン1本の時には無かった状態だ。

その次に2本目と3本目を両手で書こうとするのだが、まず線の長さが違う。いまはとりあえず書き始めと書き終わりのタイミングをそろえるとすると、二画目は遅く書くか、速く書いても右手の三画目が書き終える待たないといけない。もうだるい。

二画目はすばやく、三画目は気持ちを込めて筆圧あげてゆっくり、のような配慮はもはやできない。

つまり、ペン二本同時使えばたしかに文字は速く書けそうだけど、書き順に時間指定が追加され、自由度が減り、雑な字しか書けなくなる。

 

まぁタイピングでの同時打鍵はここまで大げさではない気がするけれど、方向性としてはこの手のことを同時打鍵ありの文字連接で感じるわけです。たとえば次の例を考えよう。

ありがとう

という連接は、別に毎回同じテンポで打ってるわけじゃない。チャットならお礼は早く言わないといけないから急いで圧縮するように打つだろう。小説ならキャラが感謝を表意するシーンということでじっくり気持ちを込めて打つかもしれない。

いま、仮に濁音の「が」だけが同時打鍵だとしたら、どのようなテンポで打つことになるだろうか。同時打鍵前後で指の同期を気にしないといけないので

あり が とう

のようになる。

もし声だったらこれで人に感謝される「ありがとう」になってるだろうか。明らかに不自然である。

じゃあどうすれば自然なタイピングになるかというと

あ り が と う

のように打つことである。つまり、同時打鍵ではない打鍵でも圧縮せずに減速ぎみに打っていれば、同時打鍵でつまずくことはなくリズムに乗って打てる。

でもこれは同時打鍵の存在によりその他の打鍵の天井まで低くなるということで、本来速く打てたはずの連接まで遅く打つのが気持ち悪い。

 

自分の意志でゆっくり打つのは一向に構わないけれど、

道具の制約によって常にゆっくりを強制されることが自分の性にあわない。

順次打鍵は順番だけ守ればいいから状況や気分に応じて好きな速度で好きに打てる。その自由度が好き。

 

たぶん真面目な文章作成では、語弊があるかもしれないがマイペースに書けるから、同時打鍵でテンポが落ちたり、前後のふつうの連接までゆっくりになることは気にならないと思う。

現に同時打鍵でタイミング調整のための空白の時間は0.2秒もあれば十分であり、 幸い人間の思考速度はそこまで速くないらしいから、文章作成において同時打鍵まわりでの減速が足を引っ張ることはないと想像する。

 

でもチャットだとか、急いでメール出すときとか、明日までに提出の報告書を作るときや、あとタイピングゲームでは、あえてゆっくり打つ配慮などしてられない。

同時打鍵を含む配列のタイピングゲームでは、同時打鍵は原理的に速く打てないから、同時打鍵以外をいかに圧縮するかということになると思う。そうするとテンポがかなり不安定になるのは想像に難くない。

タイピングゲームならいいけど、実際に使うときに不安定なテンポだとスピードを出しにくいから、速く打てたとしてもあえて減速して打つと思う。(実は順次打鍵の4段配列にも似たような事情はあるんだけど。。)

 

要するに諸悪の根源は私が不真面目なタイピングばかりしてるせいですかね。

 

結局キーボードは文房具なのか口なのかという議論の延長線上だったのかもしれない。

同時打鍵には例えば「0.1秒以内に2字以上は出力できません」というルールがあって、ペンで0.1秒間で2字書くのはちょっと考えられないから関係ないけど、喋っているときだとたぶん、かなり不快なルールになると思う。喋り言葉もいろいろで、個性に応じて言葉を無意識に圧縮したり省略したりしますよね。このルールを守れるのはカラオケか、丁寧な朗読くらいになると思う。

 

 

もちろん私だって真面目に練習すれば同時打鍵が多少はできるようになると思うけれど、それは1からタイピング練習を始めるくらい大変と想像する。

新しい配列を覚えるのは新しい漢字を100個くらい覚える程度の感覚だけど、

そもそも一度順次打鍵で確立したタイピングから初めて同時打鍵するとなるとペン2本を持った手書きという新しい入力スタイルを一から学ぶような感覚であり、

そこでは今まで学んできたことはあまり生きないと想像する。

 

 

ペン二本で文字を書く喩えはというのは私の主観的な同時打鍵の異質さをよく表している気がする。喩えきれてない部分もあったけど、まとめるとこんな感じ。

同時打鍵 = ペン二本 vs ペン一本 = 順次打鍵

ペンの本数 = 一回の打鍵に必要な指の本数

書き順 (正解があり、義務教育で教わる) = 打鍵連接 (正解は人それぞれで認識も曖昧、成人後に身に付ける人も多い)

 

付けくわえるとふつうのタイピングでも私は左手と右手の同期・連携が苦手で、交互打鍵が遅い。もともと運動神経が総合的に低いことと関係していると思われる (文化部育ち)。

親指の同手シフトはわりと許せる。同期問題は結局あるのだけど、指を固定して手首を動かせばいいのは脳としては楽で、指の同期について頭を使う必要があまりない。

ちなみに単音しかないリコーダーは得意で和音があるピアノは苦手なので、たぶんこれも関係ある。

 

新JISをオール同手シフトで打つ練習でもしてみたい。でも意外と単打の順次打鍵が多くいろは坂と混じってしまうことになりそうだ。。