個人的配列葛藤
生涯、配列なに使っていけばいいんだろうなぁと改めて考えてみたら例のごとく盛大に沼ったので雑記。
QWERTYとJISかなのタイパー的経験から、いろは坂配列をつくった。
実はいろは坂配列を開発した時点では他の配列に意図的にあまり目を向けなかった。
それはタイパー的最善を尽くすにはどうすればよいか完全に分かっていた気がしたし、
自分が50超える単打に適応できる自信も(どういうわけか)あったし、
あと、他所の配列のことは詳しく知らないほうがかえってオリジナリティのある良作ができるのでは、などとも思っていたのであった。
現に個性ある一品になったし、
自作配列でZホルダーは自慢だし、
普段使いでも一切困ってないし、
この程度のブログは快適にかけるし、
配列開発を通じて自分の新たな能力に気づけたし、
いろは坂配列を作ってよかったなぁと思う。
それでもたまにいろは坂配列で本当によかったのかなぁとか、思うわけです。
いかんせん開発期間が短すぎなのもあり、違和感覚える箇所はあるわけで、今更微調整しようかなぁとも思うけど、
微調整するくらいならいっそ全く異なった配列を作ってしまおうかなぁとか、
一方でもはや後戻りできないくらい練習してしまったなぁとか、
いろいろ思うわけですね。
ただそれも、タイプウェルで更新が沼ったときくらいであって、別に更新してしまえばいろは坂でよかったんだ、以上となった。
それがこのブログ程度の作文を始めただけでも、いろいろと思うところがある。
拙い文章しか書いてないかもだし、この記事はもう雑記として思い付くまま書くけれど、そもそも私は文章が本当に書けなかった。
ブログはじめた頃の以下の記事で私の作文レベルがよくわかる。
生産性を上げたいと本気で思っているか - いろは坂配列練習道場
自分の頭の中ではストーリーが成り立っていて、書いているときも別に違和感ないんですけど、一歩引いてあとで眺めるとわけわからない感じがしますね。。今もそうなんですけど。
いま、いつものキーボードを会社に置いてきてしまったのでサブのパンタQWERTYでブログ書いているが、だるい。
こんなにQWERTY下手だったかなあ。というか、指が楽を知ってしまったのだろう。
別に本気出せば速く書けるんですが、本気出さなきゃ書けないのか。。というような感じ。
創作文というタイピング土俵がようやくわかってきた。そして、それは作文を習慣化しなくては全く分からないだろうであったこと。
大岡さんの記事を読みすぎて洗脳された感(語弊ありまくり)あるけれど、当時わからなかった大岡さんの理論や経験が、想像もあるけどなんとなく分かるようになった。
断片的だけど、
小指使わないで薬指もやや頻度低いほうがいいのはそりゃそうだ。
私は指の能力的に小指と薬指もある程度動くけれど、そういう問題ではなくて、
単に神経使うんですよね。小指と薬指を使っているときは別の脳細胞を使っている感じがする。筋肉も使う。
神経を使うことはたぶん、退屈なコピー打鍵を退屈させないでくれる事に寄与しているのでタイパー的には楽しいけれど、
たしかに作文では邪魔でしかない気もする。
わたしは薬指を使っているときがもっとも外見の筋肉の動きが激しい。肘から手首にかけてめっちゃぴくぴく動く。これは不器用な薬指の性能を補うために発達した筋肉でしょう。
手書きの経験も、なんだかかんだタイピングに繋がっているかもしれない。
特に手書きは好きではないけれど、安心感はある。そりゃ幼少から洗脳されていたから当然だ。
人指し指と中指主体で、薬指は添えるだけ、小指は無視みたいな感じが落ち着く。
落ち着くというか、人差し指・中指なら思考を邪魔しない感じはたしかにする。
濁点後置シフト、私は好きだった。まぁ今も好きだけれど、創作文としてはどうなのだろう。
手書きでも濁点はあとから点々を書くのだから、手書きの感覚とも近いはず。
でも二打というのはたしかにだるいのでしょうね。
新JISとか、せっかくタイピングを点でとらえてぽつぽつと打ってても快適そうなのに、
濁音半濁音だけは線のタイピングとなっている。
親指シフトでトップスピードを犠牲にしてまで濁音を同時押しする理由がようやくわかる気がする。
たしかに一文字が一動作で打てるのは楽だ。濁点後置シフトは文字キーと濁点キーを常に線で結んで一瞬で打たないといけない気がするので(そんなこともないでしょうけど)、その配慮がだるい。
タイパー向けのいろは坂配列でさえも2打の濁音でタイピングのリズムがやや崩れる感じがする。
薙刀式は客観的にもEND GAMEになりうるのか。
同時押し配列はいつもタイプウェルをやってみてこりゃ無理だと思ってやめちゃうけれど、
そもそも同時押し配列は速く打つための配列ではないためタイプウェルで評価することが誤りな気がする(やっていいけどそれを土俵にしてはいけない)。
日常用として使ってみたいけど、3打同時押しがかえうちで出来ないから外で使えないなぁ。と思ったら今はQMKがあるのだった。
センターシフトだけは好きになれないかもなぁ。これも慣れか。右と左の親指の役割分担が無意識にできないのと、単打でスペース併用というのも違和感。
新JIS系列を左親スペース右親シフトで運用できるようにしたらシンプルアンサーかもなぁ。1シフトのほうが連続シフトも増えると思う。濁音2打には目を瞑るとして。
小指どうするかも悩みどころだなぁ。新JISは右小指2列なので、じゃあ左小指も2列にする?いや両方1列にするべきか。でもシフト率が。。。
というかせっかくいろは坂作ったんだから、コンセプトはそのままにして創作文も打ちやすいように改造したら?
ともふつうに思いますが、これ以上はやくしてどうすんの?とも思う。。
小指薬指節約の件もいろは坂で実行すると段越えが多発してやばそう。
あといろは坂の手を広げるホムポではまた、小指薬指の感覚は違う気がする。ふつうホムポの手を丸めるのだとなんだか鉛筆を持つのを真似したくなるが、手を広げるホムポだとピアノを真似したくなり、小指使うことが自然に思える(気のせいかも)。
というような事を考えるようになったのは最近、例の小指使わない新しいローマ字配列をぼちぼち打ってるからで、
少なくとも小指使わない快適さと、薬指を使う煩わしさを認識した。
一方で、どうせ速いタイピングは実用ではいらないなら、ローマ字配列でも良いのではとも思ってみている。
これもどうなんでしょう。作文のレベルがさらにあがるとやはりローマ字だるいわぁってなるのだろうか。
たしかにQWERTYには無駄が多い気もするけど、ローマ字自体も悪かどうかは今のところわからない。
ローマ字配列を使うにはタイピングを線で捉えて脳内での打鍵の組み立てが必要だけど、配列自体は簡単だから組み立ては楽。
ローマ字は覚えてしまえば、シフトという概念がなくなるのもよい。誰も5つの後置シフトかな配列を操っていることに気づいていないと思う。
タイパー活動にも使えるのがいいですね。
かな配列はタイピングを点で捉えてぽつぽつ打ってればよく、必ずしも打鍵の組み立ては必要ないけれど、でも本気になっていざ組み立てようとすると超難しい。
30キーではシフトの概念が絶対に必要にあり、しばしば無連想。
さらに小指を使わないように24~26キーあたりにすると、月配列系でもローマ字の打鍵数に匹敵するようになるので、頑張って無連想シフト面に適応する甲斐がない。
あと楽をしたければ同時押しor連続シフト系だけど、これらでタイパー活動はほぼ諦めたほうがいいと思っている。Xタイパーにはなれると思うけど、縛りゲー感がすごそう。
要するに今までいろは坂配列によって配列沼を回避してきたのだけど、
ひとたび速度以外の重要ファクターを意識してしまうと盛大な沼に飲み込まれそうという話。
なんかびびっとくるコンセプトが降ってきたら作るだけ作ってみたい感あるんだけどなぁ。
QWERTYでここまで書けてしまった。30分程度。3000字弱。
何がともあれ君にはQWERTYで全く不便しないタイピング能力があるのだからもう新配列とか別にええんちゃう?という軸もある。これも私の沼を広げている。
はじめの1000字くらいは久々で不快だったが、まぁ慣れた。
でも書きたいことが既に明確にある場合はいいだろうけど、書きたい事がもやもやしてて思考が必要な段階でQWERTY使ったらやはりイライラしそうではある。
書く前と書いた後で、こんなこと書くつもりなかったのになんか書いちゃったな、、というのはQWERTYでは少ないかもしれない。現に上記はすべて既存の思考回路をなぞっただけのようにもみえる。うーん深い。
創作文で一番いい感じで書けるのはいろは坂配列だけど、これはQWERTYとJISかなとの三択で消去法で選ばれただけで、
いろは坂も作文を意識して設計された配列ではないわけで、
じゃあ作文を意識して設計された配列の使用感は当然気になる。
でも他のかな配列を1ヶ月も試そうならいろは坂配列の手続き記憶は相当破壊される。
沼から抜け出すにはタイピング活動に求めるなにかしらを切り捨てる必要があるのでしょう。
複数のかな配列を両立できない人間の脳が憎い。。