いろは坂配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

タイピング中の脳内発声と指への負担の関係

「しゃべるようにタイピングする」感覚が前提の話になってしまいますが、

喋る時に自然と音圧が強くなる文字はタイピング時の押下時間が長くなる気がします。

そうであるなら、押下時間が長いと指に負担がかかるため、そのような文字は弱い薬指・小指では打ちにくいと考えられます。

 

私が作ったいろは坂配列は薬指・小指をがんがん使う仕様にしましたが、私も別に特別指が強いわけではありません。

実際ピアノは全然弾けません。タイピングすると薬指の腱はふつうにヒリヒリします。小指は単独ではたいして動かないから手首との連携を欠かしません。

 

じゃあどうやって薬指・小指をたくさん使っているかというと、指でキーを押し続ける時間をなるべく短くし、指が緊張する時間を最小限にしています。

というようなことに気づいたのはすごく最近で、無意識にQWERTYを楽に使おうと思って、20年前にそのような指の使い方に行き着いたようです。

 

たとえば私の以下の動画では(右手はBS・エンターのせいでバタバタしてますが)キーを撫でるように構えつつも、押すのは一瞬です。

断続的思考タイピング/連続的思考タイピング/無思考タイピング比較 - YouTube

あ、でも「連続的思考タイピング」のときだけキーをペタペタ押してますね。ライター的な打ち方を模倣してるつもりで無意識にやってました。そしてこの方式のタイピングはQWERTYではもの凄くやりづらかったです。

 

個人的に好きなパンタグラフキーボードは打つと指が自然と跳ね返ってきて、押下時間を短くしやすいです。タイパーに45 g以上のリアフォが人気なのはバネが指を押し返してくれるおかげと思ってます。

 

薙刀式の大岡さんは手書きの模倣という観点で、重要なかな文字は人差し指もしくは中指に担当させるように主張していて、

手書き挫折勢のわたしでもなぜか部分的に共感できるんだよなぁ、なぜだろう。と考えたとき気づいたのは、文章中の重要なかな文字というのは声に出すときも強く発声するものだから、脳内発声があろうがなかろうが行き着く先は似たようなところかもしれません。

 

最近、月配列系の配列を検討してますが、断片的に以下のようなことに気づいてます。

「く」は絶対人差し指 (か中指) 。はっきりと発音する文字ですよね。頻度は特別高くないですが、薬指は無理です。

「し」は頻度高いのに薬指でもまぁOKです。サ行って喋る時あまりはっきりと発音しない気がします。「す」は小指でもギリギリ許せる。

「な」「た」「か」は人差し指。「は」もそうかも。あ段は強調して発音しがちだから人差し指が良いのでしょう。

ラ行は何とも言えない。楽にロールオーバーできるなら薬指・小指でもまぁOK。特に強調して発音することは少ない。

「と」は薬指でもOK (新配列では人差し指にするつもりだけれど)。意外と聞き逃しても大丈夫な音なのかもしれない。

ほかには「て」は重要、「き」は割とどうでもいい、「ん」「う」も意外とどうでもいい、「こ」は薬指で許せる、「を」は中指というような、漠然としたイメージがあります。

というように、文字の重要度は文字頻度だけでは決まらない事が私にも分かりつつあります。 

 

要するに重要な文字を打つ時は自然と指の押下時間が長くなるから、薬指・小指では耐えられない気がします。

なにを重要と思うかは個人差が大いにありそうですが、少なくとも文字頻度だけでは説明できない感覚が各々にあることでしょう。

 

という内容の文章をQWERTYで書いて思ったことは、

QWERTYには棒読みしかできないのかもしれない。

速く打てるのはいいけれど、自分が打ってる文字にあまりに抑揚がなく自信がないから、口パクで復唱しながら確認している有様です。

いろは坂配列も、まぁ単打のおかげでQWERTYよりは遥かにマシだったけど、それでも棒読み感はあったと思います。

QWERTY的な配列で満足してた心理は、速く打つ事が楽しいのであって実は文字を打つ事自体には興味がなかったのかもしれません。これが「QWERTYでいいや」の本質か。。

 

私も気づいたら三十路前になってて肉体のピークは過ぎまして、タイピングマニアとして速さ以外の要素にも楽しみを見つけたいところですね。