ぼちぼち改造
検証の趣旨からアレンジはあまりよくないのだけど、こうした。
「れ」「を」はV5を参考。
S裏「を」は大岡さん的にNGだったらしいのでおそるおそる。
もともと「れる」/i が打てなかった。いろは坂配列ですらこの連接は定義していない (いや、もっと打ちにくい連接は定義してますが)。
小指下段が苦手な民で手首を内側に折れない。分割キーボードでハの字に置けばふつうに打てそうなので一体型ロウスタの呪いか。
られる がそんなに頻出するかどうかという議論はあったと思うけど、個人的には「考えられる」をよく使うし、とても重要な文言という位置付けだ (文末は文の根幹ではないと考えれば軽視できるかもしれないけれど) 。
昔の「れ」が左側にある時代の薙刀式を参考にすれば、なんとかなるんじゃないかと思ったけれど、
半濁音同置の制約から「ほ」「ひ」「は」の裏には何も置きたくなく、
結果として「け」が右下に行ってしまい、こういうバージョンは無かったと思うから、もしかしたら地雷かもしれない。
「ける」が/iになったが、カ行下一段活用で何か重要な単語あったっけ。絶対ありそう。
「を」も動かしたので「ぱ」「は」の同置が出来てかなり満足。(「ぽぴぱ」のファン)
理想的には「え」&「ぇ」、「ふ」「ぷ」も同置にしたいけど、特に後者は難しいだろう。まぁそこまでは拘らないことにしよう (トライはすると思う)
もう一点、同手・逆手のどっちを濁音にするかは悩むけれど、私はNICOLA式でいこう。
同手は直感的に打てるが、片手の高度な連接では手がわちゃわちゃして技術的に難しくなりそう。
逆手は両手使うから流れるようには打てない。濁音はワンテンポで打てれば時間かかってもいいと思っているから、逆手でいいかもしれない。濁音はしっかり発音するという脳内発声と関係あるかもしれない。
薙刀式の親指シフト化に挑戦
いつも取り上げてくださり感謝の極み。
キー配列を特徴づけるのは大きくわけて文字の並びとシフト機構の2つである。
文字領域が作文に最適化された配列は薙刀式しかない。
プロの作家さんだからこそ作成できた配列であり、なかなか真似できるものではない。
一方で、カナ配列のシフト機構については好みが分かれるところで、
できれば自分好みのシフト機構で薙刀式を使ってみたい。それは必ずしもセンターシフトではない。
ではなんでもかんでもシフト機構を自在に変えられるかというと全くそうではなく、
たとえばセンターシフトの中指シフト化は大岡さんが仰るように難しい。
中段中指の単打を犠牲にするから文字配列が大きく変わるということももちろんで、
また中指シフトはたしかに花配列までは楽さを目的としていたかもしれないが、月配列の時点でもうターゲットが高速打鍵に絞られていたのではないだろうか。
なので中指シフトは短距離向けであり創作文が意図されているわけではなく、評価しているのはコピー打鍵速度に興味があるタイパー側の方々が多いと思っている。実際に月配列の株を上げているのはZタイパーの存在だ。
一方でセンターシフトと両親指同時シフトは速さより楽さを目的としていて、両方ライティング目的だと思う。実際に両方ともプロの作家の方々から定評があるし、逆にタイパー側からは人気がないというのも共通である。
センターシフトが他にどんなシフトに頼っているかにもよるのだが、基本的に文字領域の配列をほとんどそのままでシフト機構を変えられるので、互換性がある。
薙刀式はセンターシフトで親指のシフトがメインで、また濁音については同時押しかつ同置なので、この2つのシフトを活用すれば親指シフト化しやすいのは明らかだ。
一方で小書きと拗音はかなり影響を受けそうで、また親指シフトは親指にしかシフトがないからシンプルで良いこともあり、うまく移植できるのかやってみないと分からない。
本家の薙刀式
というわけで、勝手ながら薙刀式の親指シフト化に挑戦しました。
配列図完全版
配列図簡略版
結論からいうと拗音同時押しと「ぱ」「ぷ」「ぇ」の同置は犠牲になったけれど、小書きは逆手シフト、半濁音は同手シフトで出す事にしたら意外ときれいにまとまり、実用的には問題ないレベルになったと思う。
薙刀式は過去のバージョンも参考にしました (V8~)。特にV10からの影響が強いです。親指シフト化にあたり濁音と小書きを両方逆手シフトにしようと思ったので「へ」&「ゆ」や「た」&「お」が同キーの最新版の仕様は断念せざるをえませんでした。
「す」「え」の仕様は受け入れ、小書きは「ぇ」だけ左上に行っている。
半濁音がおおよそ同置にできたのは奇跡である。もともと薙刀式は「ひ」「へ」「ほ」というハ行のマイナー清音が単打であり、しかも「ほ」はシフト面の定義がなく「ひ」も過去のバージョンではそうだったから、半濁音同置がやりやすかった。3段カナ配列でこの辺が単打のものはほぼ無いんじゃないだろうか。「ぱ」「ぷ」の同置は断念したが2つで済んだからこそカーソルキーの裏に潜めることができたわけで、半濁音用に別のシフトを用意することが避けられたのは大きい。
「う」「ぅ」「ゔ」が同置の最新版は美しいが、ここでは小書きと濁音を同じシフトにしてしまったのでQが「ゔ」だった以前の版を参考にした。
拗音は1動作ではなくなったし、「ゃ」「ゅ」「ょ」も単打ではなくシフト面なので、だいぶ打ちにくくなってしまっただろう。でもそれはNICOLAも同じなので元祖親指シフトより悪いということはない。また拗音は漢語やカタカナ語といった話題語に使われる事が多く、繋ぎのことばで頻出なのは「しょ」「ちょ」「じゃ」くらいと思っているから、拗音が速く打てなくなってもダメージは少ないと思っている。
親指シフト化にあたり、明らかに薙刀式の仕様を逸脱して恣意的に位置を変えられた文字を明示すると以下のとおり。
ふつうの清音で動いたのは「め」だけである。影響が少ないことを祈る。。
もちろん親指シフト用に最適化すれば小書き・半濁音の完全同置はできるのかもしれないし、また小書きを同手シフトにすれば「う」「ぅ」「ゔ」の同置等もできるかもしれないしで、改良の余地はある。
濁音と小書きを同じシフトにしたからそこでは制約が増えているけれど、本家の拗音両手同時押しのルールは無くなったので、配列検討で文字を動かせる条件は変わっていると思う。
でも例えば「は」のシフト面を「ぱ」にして「を」をどこかに移そうと思っても、とても難しそうで素人にはできないし、大工事になったら薙刀式のコンセプトから外れるので本末転倒である。
あと連続シフトはさすがにONのほうが良いと思われる。
NICOLAではOFFだけれど、薙刀式は連続シフトの積極活用も前提としていると思うから、OFFだとかなり使用感が変わってしまいそうだ。
センターシフトを2つのシフトに分離したから連続シフトの成立条件はより厳しくなったが、もともと同手シフトの交互打鍵はそこまで苦ではないので、片手の運指だけでも連続シフトで楽になれれば十分ともみれる。片手アルペジオで快適に打てる連続シフトは多いはず。
連続シフトが成立する連接は微妙に変わっていて、清音メインの同手シフトと濁音メインの逆手シフトがごちゃごちゃになっているためトリッキーかもしれない。たとえば「ので」が連続シフトで打てる。でも本家では濁音は同時押しだがシフト押しながらでも例外なく打てていたので、それも連続シフトとみなせばやはり親指シフト化により連続シフトの成立条件は厳しくなったということになる。
拗音同時押しができなくなっていたり、シフト面の清音が同手シフト強制となった事などから明らかなように、本家の薙刀式からは性能は落ちているだろう。
もしこれに慣れたら本家がさらに気になるようになり、やっぱりセンターシフトが正解だったというような結論になるのかもしれない。
でもとりあえず、薙刀式に限りなく近い文字配列を親指シフトで体験できるようになり、
ちょっと使ってみているがかなり印象がいい。人差し指と中指で文章を作るとはこういうことだったのか。。
特に、日本語の骨格となるカナとそうでないカナや、大岡さんが仰る繋ぎのことばと話題語の違いについて予備知識があると、薙刀式の良さがよくわかる。
(以前、薙刀式を試用した時は骨格となるカナに関して知識が無かったし、またセンターシフトや同時押しの練習にとらわれて文字配列の良さの認識まではたどり着けなかった)
ふつうに創作文ができる程度まで速くなったらまたレビューしたいと思います。
いろは坂配列はタイピングゲーム向けということにして、日常は薙刀式親指シフトバージョンで出来ないかなどと考えている。かえうちで実装できるようになったからリアフォの民として個人的にすごく気軽に使えるようになった (自作キーボードの知識が無いだけ)。
かな配列を複数マスターするのはかなり難しいとされるが、薙刀式といろは坂配列は何もかもコンセプトが逆なので脳内でごっちゃにならず共存できるのではなどと期待。
いずれにしてもライティングに最適化された配列は素人には設計が無理だし、計算配列に落とし込むのも微妙だろうから、その点でプロのライターである大岡さんがデザインした薙刀式の文字配置はたいへん貴重である。
親指シフトでも別の作家さんが配列設計に勤しめばまた話は変わるかもしれないけど、それはいつになるか分からない。
上記のように薙刀式は親指シフト化されたとしても作文において強力な性能を持ち続けていると思うし、大岡さんが編み出した文字配置は薙刀式の枠を超えた価値があると思う。
センターシフトvs両親指同時シフト
いろは坂配列やQWERTYが得意な私は立場として遠いのだけど、前の記事のとおりライティングに好まれる配列について興味が出てきたので、配列屋として自分の感覚を交えて標題を考察してみよう。
センターシフトといえば新JIS。でも新JISはJIS規格として廃止されているし今でも使用者は少なく、センターシフト自体も中指シフトの台頭により配列界隈からも一度は否定されている。
しかし近年、薙刀式の大岡さんによりセンターシフトの良さが掘り起こされ、実際に快速動画を上げられている。なので、今の感覚からするとセンターシフトといえば薙刀式だ。
もちろん他にも新しいセンターシフト配列はあると思うが、親指シフトや月配列に真っ向から挑戦しているという点で薙刀式はやはり存在感がある。
センターシフトだけでシフトは十分かというと3段配列ではそうではなく、新JISでは濁点後置シフト、薙刀式では文字領域同時押しを活用している。
両親指同時シフトといえばNICOLAである。小梅配列、蜂蜜小梅配列、雀配列といったより合理的な配列はあるのだけれど、新JISと異なりNICOLAは今でも現役で、特に作家層が広く使っているのが印象的だ。富士通の専用キーボードの販売はついこの間終了したが、今ではやまぶきやかえうちや自作キーボードがあるため、さほど影響はない (ハードに愛着あった人は多いが)。
センターシフトとは異なり、両親指シフトにより2つのシフト機構を応用できるので、文字領域にシフトを準備する必要がない。
一番簡単なカナ配列は何か?の定番解は新JISか親指シフトNICOLAのどっちかである。ここでセンターシフトvs両親指同時シフトが戦うわけだ。
(これらは小書きと半濁音が別置でシンプルではないから、新配列を引き合いに出せば新JIS系ならNew Stickney配列がより簡単そうに見えし、親指シフト系なら私の雀配列がより簡単だろう。)
QWERTYや純順次打鍵配列しか使わない人からしたらどっちも親指のシフトで大差ないように見えるけど、
実際使ってみると新JISとNICOLAでは全然使用感が異なる。
以下から私の主観が入るが、まず私はセンターシフトが苦手だ。
センターシフトは連続シフトである。なのでシフト文字を出すためには①シフトを押す②文字キーを押す③シフトを離すという3動作が必要である。これは私にとって単打3打分に相当する負担に感じる。先日も述べたが新JIS系の連続シフトは実質的には「断続シフト」がメインで、シフトを押したり離したりするタイミングが難しい。速く打てば打つほど繊細なシフトワークが必要となり、負担はどんどん重くなる。
また、こっちのほうが深刻なのだが私はどっちの親指を使えばいいのか常に分からなくなる。「自然に打ちやすいほう」の選択が無意識にできない。逆手で勝手に統一してもいいけれど、連続シフトで同手になる時はあるし、そもそも同手シフトが苦手なわけではないからそれを封印するのももったいない気がする。
私は意外と両親指同時シフトはできる。NICOLAの小書き半濁音別置は嫌だったから雀配列なるものを別途作り、検証はさぼり気味だが別に嫌いではない。先日同時押しできませんとか言ったけれど、それは注釈が必要だった。
文字領域同時押しは高速タイピングでリスクがある。速く打つと文字が化けるからあえてゆっくり打つというような、ブレーキの考えが必要となる。これはqwertyにもJISかなにもNICOLAにもなかった軸だ。指の能力が足りないから速く打てないのではなく、指の能力を封印しないと逆に速く打てないという点が小難しいし気を使う。
喋るように打とうとすると指が走りがちになる。純粋に筆記用具として一字一字しっかり書いていく感覚であれば問題にならないのだろうけど、言う感覚で打つとロールオーバーしてしまい同時押し判定されるという罠にかかる。
もちろんそういう事が少なくなるように同時押しに対応する単打同士の連接はマイナーになるように設計するのだろうけれど、事故が0になるわけではないし、常に警戒しなくてはいけない感覚はありそう。
親指シフトは安全設計である。親指自身には文字が割り振られてなく、また連続シフトは標準でOFFだから、高速で打つことにより意図しない挙動になることは無い。
連続シフトONにしたとしても、文字領域同時押しよりは事故が少ないだろう。そもそも親指が絡む運指は指が走りにくく、それはつまり速く打てないとしてデメリットとして扱われる事が多いけど、安全設計で気を使わないで済むという点で個人的にはプラスだ。
センターシフトとは異なり同時押しなので、感覚の問題ではあるが、シフト絡みの2打が実質的に1打の重みになりうる。とくにライティング中などでゆっくりタイピングしている時に効果が大きそうだ。
親指に2種類のシフトを仕込めるから、ふつうの3段配列なら文字領域にシフトはいらない。このシンプルさもなかなかに捨てがたい。
NICOLAには濁音化する清音を単打にする制約があってそれが足を引っ張っている印象があるけれど、小梅配列のようにややマイナーな清音を同手シフトにし対応する濁音を逆手シフトにすれば配列のシンプルさと運指の合理性を両立できるから、両親指同時シフトが悪いとはいえない。
大岡さんはセンターシフト文字は1.4打分の重さとおっしゃっており、実際に動画では流れるようなセンター連続シフトが繰り広げられており、さすがである。私には真似できそうにない (慣れの問題なのか・・?)。
一方で大岡さんは両親指シフトだと左右盲になり、同手と逆手の使い分けが煩わしく感じるそうだ。その感覚は逆に私にはあまりない。
たぶん、センターシフトが合う人種と、両親指同時シフトが合う人種がいるのだろう。
でも幸いなことにどっちかが苦手な事とどっちかが得意なことには相関がある気がするので、両方苦手なケースは稀なのではないかと思っている。
で、こっからが本題なのだけど、センターシフト代表の薙刀式と両親指同時シフト代表のNICOLAはどちらもプロの作家さんのお墨付きである。
おそらくライティングにおける優劣はシフト機構の差ではつけられず、実際慣れさえすればシフトについてはどちらでも良いと想像する。
一方で薙刀式が特徴とするのはプロの作家である大岡さんがご自身で設計したという点であり、文字領域の配列までもライティングに最適化されている点である。
これはプロの書き手でないと出来ないことだろう。一般人やキーボードマニアやタイピング好きの人だと薬指・小指をフルに使って合理的な運指を目指す傾向があり、実際そういう配列は多いし、いろは坂配列なんて典型だ。
薙刀式は文章作成に特化している点が凄い。人差し指と中指で日本語文章の骨格を作れ、大岡さんも仰っているように最も筆記用具に近いキーボード配列なのだろう。
ではNICOLAはどうかというと、いろんな作家さんがお使いになっている割に文字配列は謎らしい。文字頻度の分布見るだけで素人でも変なのはわかるし、詳しいことは大岡さんのブログに詳しい。
文字配列がアレなのに多くの作家さんが使い続けるということは、いかに両親指同時シフトが便利ということかと思い込んでしまう。
私は工学系の人間だから案の定いろいろな因子を切り分けて検証したくなる人間で、
4段が悪いのか、文字配置が悪いのか分からなかったからJISかなに代わるいろは坂配列を作った。
行段左右非分離が悪いのか、ローマ字が悪いのか、文字配置が悪いのか分からなかったからQWERTYに代わるとかげ配列を作った。
両親指同時シフトが悪いのか、小書き半濁音別置が悪いのか分からなかったからNICOLAに代わる雀配列を作った。
で、これらの経験からくるざっくりとした結論としては、悪い配列があったとしたらシフトではなくだいたい文字配列が悪い。配列には良し悪しを付けやすいが、シフト機構はそれぞれ一長一短で好みの問題かなという印象。
センターシフトと両親指同時シフトについても合う人とそうでない人でそれぞれ二分化されるが、標題にしておいてあれだが優劣をつける必要性はないのだろう。
今の私の疑問は以下のとおりである。
・薙刀式の筆記用具としての感覚は文字配置から来るのか、シフト機構から来るのか。薙刀式のような感覚を他のシフト機構で体験できるのか?
・親指シフトが悪いのはシフト機構なのか、文字配置なのか。多くの作家に好まれるのは文字配置の弱点を補うほどシフト機構が優秀だからではないか?
じゃあプロの作家さんが本気の親指シフトを設計するまで待とうか、というのもそうはいかず、
また残念ながらライティング経験がほぼ無い私には文章作成に最適化された配列を設計することはできない。
それならもうやるべきことは決まってますね。つづく。。
いろは坂配列は話題語が (なぜか) 内側
大岡さんの薙刀式は作文に適した配列という点が特筆すべき。
私の理解が間違ってなければ、その核心は
日本語の骨格となるカナ、繋ぎの言葉をつくるカナを人差し指・中指に集中的に担当させ、頻出連節は快適なアルぺジオにすることという認識。
しかし、これは自分の言葉で書く習慣がない人には全く分からないのではと想像する。
レポートだとか、報告書とか、メールとか、チャットとか、毎パソとか、タイピングゲームでどんなにタイピングに勤しもうが、この感覚は分からないだろう。
レポートや報告書では自分の言葉は封印しなくてはいけないし、メールやチャットは書くというより「言う」の代替手段で書き言葉はあまり使わないし、毎パソやゲームではコピー打鍵しか求められないから自分の言葉など全く関係ない。
少なくとも私がそういう人間でした。
タイピングマニアほど薬指や小指の活用を考えたりしちゃうから、キーボードが筆記用具から遠ざかってしまうのもあっただろう。
でも私はこんなブログではあるが、自分の言葉で書く習慣をつけて初めて、大岡さんが言わんとする事の片鱗がようやくわかったような気がする。
私が愛用するいろは坂配列はじゃらっと打ちは得意だから、繋ぎのことばをたいてい一瞬で打てることは作文に優位だ。
でも薬指・小指は酷使で、特に日本語の核となる言葉「た」「と」「る」「は」「か」は小指だし「が」「て」「で」「し」「ど」「す」は薬指で、なんともいえない違和感がある。
もともと何故こうなっているかというと単文節変換派のわたしは単文節をアルペジオでじゃらっと打てることを理想にしていて、文節はざっくり言って「話題語」+「助詞」なので、人指し指中指で話題語、薬指小指で助詞を担当させれば自然とアルペジオ増えるでしょ?という感覚だったと思う (当時は助詞が小指だとタイパー的に気持ち良いなぁ程度で、ここまで考えていなかったけれど)。
まぁ、日本語の骨格となるカナとそうでないカナがいろは坂配列と薙刀式では見事に逆の傾向があるという (今改めて認識した)。
一応貼っておきます。
人差し指担当に日本語の中核にならなそうなものが目立つ。「き」「ち」「ふ」「み」「つ」等。
「さ」は落ち着くし、薙刀式と位置が似てる。
「こ」はホムポでよかったのだろうか。でも薙刀式でも人差し指のもよう。
「ん」「う」あたりはどうなんだろう。頻度的に人差し指で良いのだけど、でも日本語の中核かというと私には判断できない。薙刀式では「う」は薬指のもよう。
中指では「に」「な」が中段なのはよかったですね。「だ」の中指最上段も気に入っています。
薬指・小指がなぜ重視されているのかの言い訳を考えると、
タイパー的には、文節終わりのカナでは次のカナに繋げる必要がないから、薬指や小指といった弱い指でも大丈夫。
話題語の連接は無数にあって速く打つなら高度に指の独立を要するので、それなら人指し指・中指のほうが有利でしょう。配列を作った当初はそこまで考えは及ばなかったけれど無意識に意識していたと思われる。
タイパー活動や、チャット等で「言う」代わりとしてタイピングしてる限りはなんら気にならない。
でもブログを書くとなると、尺骨神経を使う薬指・小指を酷使するのはやはり適当ではないなという気になる。
とくに書いている時のタイピングはゆっくりだから、指の違和感に自覚的になりやすい。タイパー打ちしてるときは違和感を覚える暇がないほど速く打ち、というかキーを気持ち込めて押すということは無くひたすら叩くので、指は棒にすぎず、どの指を使ってタイピングしてるかなんてどうでもいい世界かもしれない。
私はタイパー寄りの人間で単語ゲーのタイプウェルが好きだったから、深層心理によって自然と話題語が打ちやすいような配列を設計したのでしょうかね。
なにがともあれ自分が知らない世界を知りたく、人差し指と中指だけで文章を作成したいと思うようになり、
でも私は同時押しや連続シフトやセンターシフトやそもそもシフト機構が複数存在する配列が苦手なようで、薙刀式には単純に技術的な習得面でハードルを感じており、
あと愛用しているかえうちが3打同時押しに対応してないこともあり、
どうしようかというのが次の話題です。
いろは坂配列のヒートマップ
昔作っていたけれど、これは一つ前のバージョンだった。
https://twitter.com/mentype2/status/1109053722661773312/photo/1
いつもkouy様配布のシートを活用しております。
いろは坂配列のヒートマップをJISかなと比べるとこんな感じです。
連続シフトはシフトもカウントです。
ヒートマップは配列の概要を知るにはもっともシンプルですね。
色の付け方ちょっと変えれば、また印象がガラっと変わりそう。。
いろは坂配列では基本的に全指等価前提です。
でも実は左人差し指は重視しているのに、右人指し指ではそうではないです。
右人差し指の下段がなぜか楽をしています (「ち」「ふ」)。これは私の指の性能が低いせいです。
(私の右人差し指は外に開かないため、とかげ配列の動画で手全体を動かしてその辺を対応しているのがわかります。。)
とはいえ、右人差し指を軽くした結果小指が重くなっているわけで、要修正点の一つかなぁ。
当時はタイピングゲームで楽しむことしか考えていなかったけれど、今はそうでもなく、
でもいろは坂配列はこのままでも意外と創作文もいけることがわかり、改良に踏み出せていない。。
また、タイピングゲームへの情熱がある時に習得した配列は、その情熱を失ってから習得し直した配列では勝てないと思っている。。加齢の影響もしかり (ちなみにタイピング技術は一度習得してしまえばその後は劣化しにくいようです)。
あと句読点。これシフト面にありますが、確定エンター付きです。
ちなみにエンターやスペース押してからであればシフトなしで句読点を打てます。
打鍵数のカウントが難しいところですね。
でも実際はほとんどシフトを使って句読点を打っています。
これを単打にするだけで数値上の見栄えがぐっと上がるけれど、確定つきだと誤打の被害が上がるから文字の領域の中には置きたくない。
というのと、句読点を単打にすることで「ぎ」「び」あたりのマイナー濁音が連続シフト面に行く事が、今更許せないらしい。
句読点にはいくら時間かけても良いけれど文字はそうではないと指が言っている。タイパー精神なのかなぁ。
ちなみにいろは坂配列の開発は独自の文字データに基づいているので、上のヒートマップは一切使っておりません。そもそもヒートマップを特別意識しているわけでもないです。
一方で、先日のとかげ配列のコンセプトは「打鍵数のわりに楽な配列」となっています。実際の打鍵コストのうち打鍵数はどれくらい関係あるのでしょうかね。そもそもとかげ配列はいろは坂配列 (やその他の新配列) への挑戦でもあるわけですね。もう話をややこしくするばかりだ。。
いろは坂配列にしろJISかな配列にしろ、まぁ残念ながらピーキーという印象が強く、配列界や自作キーボード界で興味を持ってくれる人は少ないでしょう (なので大岡さんにはいつも感謝しています)。
文字頻度ごとに色の異なるキーキャップがあればデファクトの歪さにみんなすぐ気付けると思う。
自分の脳の仕組みがわかった
とかげ配列で、じゃらじゃら打つのが良いといいつつ、やっぱ間欠的じゃダメなのかなぁとか。
典型的な行段左右分離配列はQWERTYより遅いけれど安定して等速で打てるから良かったんだっけとか。
その辺の議論を思い出していた。
また、打鍵動画を撮るとあまりに自分の手の動き、機敏さ慌ただしさが想像と違っていてびっくりする。
さっきのとかげ配列もそうだけど、いろは坂配列はずっとそうだ。
というようなことを考えて、
なぜ私は間欠的なタイピングを好むのかようやく明らかになったので説明しよう。
グロ注意
自分にとっての文章作成はこんなだ。たぶん。
指には別の脳がある。文字を考える脳と指の脳は全く別領域だ。
また、文字は自分の体を通っていない。腕が点線なのはそういうことだ。指と脳が物理的に繋がっているということを文章作成中に意識することがない。
完全に感覚的な話なので、話半分でお願いします。
文章作成するために、まず文字や単語を思いつく。思いついた単語は外でストックされて、そこで単語同士が繋がって文になる。
ストックといっても無限ではなく、ろう斗のように常に下から染み出している。
これが数秒なのか、数十ミリ秒くらいなのかはわからない。
けれどこのおかげで脳と指の"分業"がしやすくなる。
もしこのストックがなければ脳から送られる単語は直で指に伝えられ、
イメージでいうと、タイピングを脳波と同調させなければならない。
自分が気まぐれで間欠的に思い付く単語とタイピングを同調させないといけないなんて、曲芸のようにも思える。私にはこれができないようだ。
また、指の処理能力を超える単語が送られてきたらオーバーフローし、単語が捨てられ、せっかく思いついたのに出力されず終わるという問題もありそう。
先日試した無休憩の「等速タイピング」。あれは思考速度とタイピング速度を常に同調させることで、ストックなしの条件でも不自由なく作文するためのトレーニングになるものだったのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=2pQEVBd_9hw&t=739s
ポテンシャルでいえば変なストックなど無いほうが直接脳で文章を操れることに繋がり、文章の質は上がるだろう。
私には文字のストックがある。そのせいでおそらく文章の質は相当下がっているだろう。
ただ、ストックのおかげで指と脳それぞれがマイペースに作業できるので、
まぁさほどストレスがないようにも感じる。
たとえば、QWERTY配列やとかげ配列のように、アルペジオを積極活用する配列は速くタイピングすると間欠的になりがちだが、
指と脳はリンクしていないし、文はろう斗からぽたぽた垂れてきているだけなので、
1滴ずつタイピングしたっていいし、10滴くらい溜めてからじゃらっと打つのも自由である。さすがに溜めすぎは無理だけれど。
思考速度を超えてじゃらっと打つ事が許されるから休憩時間も多く、凝りにくいと思われる。凝りは指の速さではなく筋肉の連続緊張時間からくるものと思われるので、速く打ってたくさん休む方式のほうがリスクが少ない。ただし腱鞘炎のリスクは上がる模様。
指と脳が分離しているもうひとつの留意点として、当然だけれど脳でタイピングを制御しにくい。
指には独立した専用の脳があるとはいえ、そんな高度なことはできない。
私にとって配列を無意識化するというのは本体の脳から指の脳への移管させるということだが、
配列が高度なものだと移管できない。
そして何が高度に相当するかというと、私にとっては「シフト」である。シフトは頭使わないとできない。
私にとって最も頭使うシフトは同時打鍵である。指の脳には順序の概念はあるが、時間の概念がない。なので、意図的に同じ時間で打つのがとっても難しく感じる。
また、他のシフトであっても無連想のシフトはとてもつらい。連続シフトは小書きだけとか、半濁音だけとか、その程度が限界である。できれば単打と連想できるものが良い。
いろは坂配列のように4段でキー数多いことについては別にそんなことないみたい。キー数増やしたところでタイピングの原理は変わらず、実戦投入できるようになるまでの訓練の期間が長くなるだけだろう (シフトも慣れればいいだけなのか。。?)。
指からキーボードを介して、ようやく文章が組み上がるわけだけど、本体の脳から文章がなんと遠いことか。
創作文は洞窟探検だなんてことを前に言ってしまったけれど、そういう感覚は上記のような事情からくる。
もちろんさすがに洞窟が問題なのはなんとなくわかってきたから、特訓して自分なりに明かりをつけて先を見通せる能力をつけるべきか。。
この記事もやっつけの図を作って500字程度で説明して終わりだと想定していたら、たいそう真面目な説明から抜け出せなくなり、気づいたら2000字超えていた。。こういうのが洞窟探検だと思ってしまう。
ストックのようなものがあるから、ただでさえ気まぐれな脳が更にマイペースになって、無計画に単語を漏斗に放り込みやがるから埒があかない感ある。
脳と文章が遠いからこそ、修正もおおい。一度文章が出来上がってから日本語的な違和感を可能な限り取り除く。手書きだと消しゴムがあるとはいえさすがにそんなに修正できないけど、私はペン握るよりキーボードに向かっている時間のほうが長かったから、修正前提でしか文字入力ができないようになったのだろう。
余談だが、私はタイピング練習中にごくたまにうたた寝するが、 (精度はともかく) 指は動き続けている。
赤矢印の文字のフローがなくなっても、黄色い文のストックはあるので、多少脳が停止しても大丈夫ということか。
指と脳が分離していることを示すものかも。。しれない。
上記の図で示される例はヘンテコで特殊なようにも思えるが、
でも意外にありふれているものと想像している。
特に頭で文章を考えていることに慣れていない人は、とりあえず思考の外にストックを無意識に作るのではないだろうか。
指と脳が分離しているため、たとえ指がQWERTY配列に違和感を覚えたとしても本体の脳にそれが伝えられることはない。指も指で、ヘンテコ配列が目の前にあっても盲目的に慣れてしまう。
腱鞘炎など外的な痛みが生じたり、また勉強してQWERTYの理論上の非合理性を認識してはじめて、本体の脳がQWERTY配列をやめようと思うようになる。
というように、エセ科学にすらならない謎の論理を展開してきたわけだけれど、
でも自分の感覚的には、脳の外にストックがあるとか、指には別の脳があるのは嘘ではないと言っていて、
たぶんこれらの事柄は脳科学で説明されるべきものなんでしょうね。
-----追記-----
大岡さんが取り上げてくださいました。いつもありがとうございます。
たしかに「言う」に近いですね。
私のように書く習慣が無かった人間だと書くことが「言う」の延長線上になりがちなのかなと。
コピー打鍵では単語の出どころが本体の脳ではなく視覚情報になりますが、それ以外は同じです。まさしくゲームをしている感覚ですかね。
もっと以前の議論にあった「脳内発声が無く概念で考えている」というのはまだ想像できた。
でも
「言う時の思考と、書く時の思考が全く異なる。」
「僕にとって思考とは、その餅を変形させたり、グルグル回して裏を見たり、中に何が入ってるのか二つに割ってみたりすることだ。」
「色や触覚のような別の感覚に変換される。」
はほとんどさっぱり想像できない。。
関西弁と標準語の経緯はなるほどと思った。たしかに標準語だけで育った人には体験しえない経験ですね。。
「とかげ配列」公開!
ちょくちょく試していた新ローマ字配列、とかげ配列を撮りました!
もう少し穏やかに打ってるつもりでしたが、見た目は想定以上に忙しない印象。
指の動きと実感はなかなかリンクしませんね。
とかげは軽快に機敏に間欠的に短距離を動きます。
この配列では打ちやすい文字塊を軽快にじゃらっと打つことで、ローマ字の打鍵数多い印象よりよほど楽に入力できるはずです。
分割格子配列を使ってるのは大岡さんの影響です。
小指使わないとか、格子配列と相性良いとか魅力はあるけど、
個人的にはなんといっても行段左右非分離という点をアピールしたいですね。