新かな配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

配列は誰のため?

開発動機からすると、いろは坂配列は自分のためでしかないです。

自分というのはJISかな入力を (ある時期は) 一日10万打鍵のペースで練習していたにもかかわらず伸び悩み、とてもガチタイパーの仲間入りが出来なかった自分です。

努力の割に伸びないのは段越えのせいと考え、段越えを減らしました。

また、もともとQWERTYからJISかなに乗り換えたのは打鍵速度に自信が無い自分は単打を増やして、空間把握を練習量で稼ぐしかないと考えてたからですが、もっと単打を増やすことにしました。

という感じでいろは坂配列ができました。これは確実にタイパー的努力を裏切らない配列といえます (19mmピッチキーボードなら手を大きさは日本人男性平均は求めるかも)。QWERTYですと猛烈な練習量で生涯かけてZタイパーになる人もいれば、一方でZタイパーまでが初心者などと言ってあっさり上がる人もいるので、才能の差が残酷です。才能に振り回され努力によって補いにくい要素こそが指の運動性と考えて、配列開発をしました。

もっとも、いろは坂配列をほぼマスターしたいま、タイパー的努力をしたいかというとちょっと微妙になってきましたが。。(MY配列で常用ZJ出しても世の中的にインパクトは大してなかったなぁと実感中。QWERTYがX未満だったらよかったのかも

 

配列屋は基本的にQWERTYに代わるデファクト候補を編みだす事が使命なので、もちろんそれ自体は趣味なのですが己の道を突き進むタイパー活動・自作キーボード制作活動とはちょっと毛色が違いますね。必然と社会貢献の軸が入ってきて、布教活動の義務が伴いがちです。

それは別な面では一般人から見て、タイパーは速く打てれば単純にスゲー!自作キーボードかっけー!てなりますが、配列屋はぱっとしないですよね。文字の変わった並び順見せられて一般人が感動するところは想像できないです。だから配列屋は自分の成果を一般人にアピールするためにまずQWERTYを蔑んで、次に自分の配列はあなたにとってこんなメリット、ライフハックがありますよと言います。それ自体は別に全然間違ったことではないです。

 

一方で私の話ですが、思考回路や目的はタイパー・自作キーボード勢と同じく自分のためです。あくまで趣味ですので。とはいえ自分しか打てない配列作ったぜーひゃっはー!って言ってもしらけるだけですよね。未知の領域への到達が評価されにくいのが配列屋の辛いところ。

 

つまるところ配列は私にとってアイデンティティーなのです。もっというと、既存配列に疑問を持ち、プログラミングによる計算とタイパー的経験による直感の双方から自力で配列を設計し、常用ZJまで検証した一連の流れを含めてアイデンティティーなのです (だからどうした)。

 

タイパーQWERTYを速く打てる事が十分アイデンティティーになりますね。なぜなら一般人はQWERTYをまともに打てないのが当たり前だからです。自作キーボード勢のアイデンティティーは言わずもがなですね。

 

ただもし私が一般人だったら、一般人が頑張って作った配列は、もしそれが100%自分のためだとしても偶然他の誰かの手に合うことで社会貢献に寄与でき配列屋としての責務を果たせたように思う。残念ながら私はタイパーなので、もともと手が普通ではなく、自分に最適化された配列が非タイパーの手に合うことはないだろう。具体的には交互打鍵率をわざと下げ、ロールオーバー重視するために薬指小指の頻度を中指並みにわざと上げてある。

タイパーにとっては合う人いるでしょうね。というかJISかなタイパーが使えばとんでもなく上に行けると思う (人類がZCを出す為の配列と言っても良いです)。逆にタイパー以外にいろは坂配列がフィットしたら設計ミスでは?とすら思う。

これでは配列屋として失格かなぁとおもい「継配列」のような割と万人向けのものも作った。しかし布教できていない模様。。(かな配列同士は干渉し、こっちを練習するといろは坂配列を忘れるので難しい)

 

まぁ配列屋はタイパーや自作キーボード勢とは違い、自分だけが高みに行ってもなかなか承認欲求は満たされないなぁ、というお話でした。