新かな配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

QWERTYの株を上げて自分の首を絞める

QWERTYは150年前に英語圏でABC順ベースにテキトーに作られた配列です。

なぜこれが世界標準となってるかというと一度人間が慣らされたせいで市場でも固定され、もっと効率の良い配列のタイプライターがあっても商売にならなかったからです。ナッシュ均衡から抜け出せない人間という生物の愚かさの象徴といえるでしょう。

まぁ仕方ないです。QWERTYの問題以前に、配列をぽんぽん気軽に変えられる能力が人類には備わっていないのです。人類の600万年の歴史、日本人のルーツである縄文人でも2万年弱も昔ですよ。進化の過程や生存競争で必要だった手指の能力はたかだか石器を作って扱いこなす能力でしょう。もちろんそれは大変偉大なことなのだけど、今みたいに各指を独立させて器用に動かす必要なんてなかったわけだから、人間にキーボードに対して永久に不慣れであるのは自然なのです。

 

タイピングにおいて器用に手指を扱う必要があるということも自明ではないかもしれません。もともとタイピングの発祥はタイプライターで、タイプミスはまず許されないし、一打一打も今のキーボードより遥かに重いので、そんなに速く打つ必要も余裕もなかったと思うんですよね。

また実際、QWERTYにはホームポジション軽視・小指薬指酷使というはっきりとした欠点があります。

 

しかし現代において不測の事態が起こります。

QWERTY配列を喋るような速度で正確にタイピングできる人間が現れてしまったのです。

もともとそんな人間は全国で一握りしかいないので村社会であれば存在が広まることもなかったかもしれませんが、インターネットの発達で一握りしかいない達人たちが目立つようになり、統計上の意味以上に存在感を放ち、無視しきれなくなったのです。

 

彼らの啓蒙活動の結果もあり、以下のような考えが生まれます。

① 努力をすれば誰でも速くタイピングができるようになるはずだ。

QWERTYは実は性能が高い配列なのではないか。

 

配列屋は上記の風潮に対して疑問を投げかけて挑戦してきたと思います。すなわち

①' その人に合った配列を使わない限り、速くタイピングできるようにはならない。

②' QWERTYの客観的性能は低いので、QWERTYの達人は芸人的位置づけであって、実用目的で参考にする必要はない。

ということを主張するのが、配列屋の総意ではないでしょうか。

 

①'は正しいということでよいでしょう。実際に特殊配列を練習し、本人の中でQWERTYを凌駕し、満足するところまでタイピングが速くなった方は何人もいます。

 

問題は②'なんですよね。。QWERTYの客観的な性能とはどれほどものでしょうか?

  

150年前に作られたとか、そもそもローマ字のほうが後にできたとか、市場に淘汰されなかったのは人々が配列変える事を面倒がっただけであるとか。これらの事からQWERTY配列がベストではないのは明らかに思えますが、しかしながら客観的性能とは何ら関係ないただの事実です。

 

ホームポジションが軽視されているとか、小指・薬指の双方が酷使されているとかは客観性があります。

また普通に使っていただけなのに腱鞘炎になりタイピングの継続が困難になった、というのもよほど変な打ち方でない限り客観性はありそうです。人体の構造はなんだかんだ似たり寄ったりなので、他の人でも同様に腱鞘炎になるリスクは十分あるでしょう。

 

じゃあ他の配列は客観的に性能が良いのでしょうか?

残念ながら配列はおろかタイピングの理論すらままならない現状ですので、これをバシッと言うことはできません。

実際に性能が評価できたとしても色んな配列それぞれ長所に特色があって、一概に比較できるものではないでしょう。近年開発された新配列はどれも実に個性豊かであり、QWERTYの次におすすめできるような一品は人によるとしかいいようがなく、手当り次第試して各々が主観で確かめるのが最も良いという現状です。 

この理屈でいうとQWERTYもまた強烈に個性が強い一品であって、一概に悪と決めつけるのは危険ということになります。

 

 

さて、近年ではQWERTYに良い面は達人以外にも認知されてきています。

快適な連接が多く、中指薬指を伸ばすΩポジションと相性がよく、速度的に天井が低い交互打鍵が少ない、といった長所が挙げられます。

前記事に書きましたが速筋と相性がよい連接に富んでいて、腕や肩が凝りにくいというポイントもありそうです。

 

QWERTYは特色のある長所と看過できない短所という両極端の性質を持ち合わせていて、結果的に速く打ててしまう人とまったくそうではない人で分かれています。だから争いは絶えず、飽きないのですが。

 

配列界隈への参入はQWERTYへの批判が入門となってきたわけですが、あまりに盲目的にQWERTYを嫌うせいで上記の長所に気付けず、

ホームポジションと交互打鍵ばかり注視され、より速く・楽に打てるポテンシャルのある非交互打鍵の研究がかなり遅れてしまったという経緯があります。

 

交互打鍵率を第一とは考えずにアルペジオやあるいは実際の打鍵感を重視するカナ配列は2010年以前では飛鳥カナ配列くらいでしょう5か。龍配列もそんな気がしますがちょっと情報が少ないですね。NICOLAも交互打鍵は重視してないという印象ですが、同時打鍵の導入そのものをまず重視していて順次打鍵の連接まで考慮されているというのはあまり聞きません。

 

何様という感じですが、近年の新配列のコンセプトの動向を垣間みたいと思います。

 

花配列、月配列2-263はかな配列で中指シフト方式による圧倒的に高い交互打鍵率(約70%)で有名です。そのあとさらなる打鍵数減少のため清濁別置が採用され月配列5-315を始めとするぶな配列系が登場します。ここで交互打鍵率が多少犠牲になりましたが、それでも交互打鍵率は高い事が望ましいという方針は変わってなかったでしょう。最近では月光が登場しぶな配列と同じく清濁別置を採用してます。まだ開発段階のようですが開発者のtkenさんが交互打鍵率にあまり言及していないことから数値上のスペックよりも実際の打鍵感を重視していると考えられます。このようにして中指シフトは交互打鍵特化の風潮から脱却しつつあるのではないでしょうか。

 

薙刀式は交互打鍵特化ではないセンターシフト新JIS配列の性格を色濃く残してると思われるので、従来の新配列とは一線を画すものでしょう。開発者の大岡さんがプロの作家であり、長文ライティングの打鍵感を追求されています。ライティングの現場で開発された事は特筆すべき点です。とくに非交互打鍵の代表格である片手アルペジオの研究が洗練されていて、頻出の日本語連接に注力して快適なアルペジオでまとめて出せるように設計されているそうです。

 

いろは坂配列は指の運動能力が低い条件下でどれだけ速く打てるかを追求したものです。単打特化は一つのポイントですが、もう一つ重視したのはロールオーバー打鍵によるアルペジオです。交互打鍵はどちらかというと悪という位置づけで、ロールオーバー打鍵により指をキーから積極的に持ち上げなくとも高速で打てる連接に富んでいます。4段配列で上段に中指・薬指をおくホームポジション、いわゆるΩ型を採用していますが、上段を重視するのはQWERTYを真似ていて、指を伸ばしてうてる事の快適さを追求した結果です。

 

それぞれ別ルートではありますが、いずれにせよ交互打鍵が正義というところに代表される従来の配列論からは脱却してると思います。

 

さて、端的にいうと結局のところアルペジオロールオーバーといった快適な順次打鍵連接の追求が最重要といえます。

なぜならそれ以外の非交互打鍵で快適そうなものが見られないからです。

 

ただ、もともとアルペジオの打鍵の概念は、QWERTYで発達したものだと思うんですよね。誰が言葉を定義したかはわからないんですけど。。

いずれにせよQWERTYには快適なアルペジオに富んでいます。特に人差し指に子音を集中し中指・薬指に母音を担当させることで子音+母音がじゃらっと打て、ローマ字入力の煩わしさを軽減しています。

もちろん、快適ではない非交互打鍵も多いので新配列が必要なのですが。。その際に交互打鍵至上主義に代表されるようにQWERTYの長所さえも無くなってしまう事が多かったと思います。

 

近年、配列界隈で快適なアルペジオのポテンシャルが交互打鍵を凌駕すると認められたということは

つまりもともとアルペジオに富んでいたQWERTYの株を上げたことにもなります。

 

次なる闇は、ローマ字がかな入力より1.7倍打鍵数が多いから1.7倍効率悪い、という説は大間違いなんじゃないの?というでしょうか。

もちろんかな入力での同時打鍵や、またキー数や打鍵パターンの多さから打鍵数の単純比較が不適当であるのはちょくちょく言われてますが、

そもそもローマ字入力の子音+母音の2打は、本当に2打鍵の重みがあるのでしょうか?

同時打鍵派閥が2打を1動作と言い張るように、快適な子音+母音、さらには快適な打鍵塊がまるごと実質的に1動作なのではないでしょうか。

この論理が成り立つと、打鍵数は多いが打鍵パターンが少ないローマ字配列では複数打鍵を1動作とみなせる機会が多く、動作数でいうとかな配列に迫ってくるのではないでしょうか。

これこそがかな入力ではなくローマ字入力デファクトとなった所以と推測しています。

 

同時打鍵よりもさらに理論的にややこしくなりますが、連接を1動作の感覚で打つにはそれなりに経験が必要なので、配列の総動作数はその人の練度に依存することになります。また脳が1動作と錯覚すれば良いとするとアルペジオではない打鍵すらまとめて塊とみなせると考えられます。

タイパーなら1単語1動作になってくるのかもしれません。"アクション数"なる概念を提唱しているタイパーもいます。

 

 

いずれもQWERTYに対して追い風になる話なので、面白くないなぁとは思いつつも、真実に近づいている実感はあります。

いろは坂配列は学習コストはさておき、QWERTYの長所をよく抜き出したつもりなので、QWERTYの評価が上がるといろは坂配列にも箔がつくという面もあります。

一方で安心してQWERTYに居座る人が増えるのは困るので、ダメなとこはダメだと言い続けることも大事でしょう。