大岡さんの最新動画
色分けでシフト機構を明示とは考えた事なかった。。すごいわかりやすい。
私はシフトが単純なかな配列しか手を出してなく、それは複雑なシフト機構は無意識化の邪魔になると思っていたからなのだけど、
実はそうでもないということがよくわかります。さすがすぎる。
センターシフトや同時打鍵を流れの中で打てるのがすごい。
私にとっては連続シフト方式で1字出すのは①シフト押して②文字打って③シフト離すの3打分の重みに感じるので
それなら2打しかない前置・後置のほうが楽だと思っていろは坂ではそうなっているんだけど、
大岡さんは決して3打分のもたつきをしていないので、ここでも私の認識は正しくないらしい。
少し思い当たるふしはあって、私がJISかなの連続シフトは受け入れられたのはシフト自体がマイナーでシフト押しても関係ないキーがほとんどだから①と③のタイミングが超適当でよく、
タイミングをケアするのは②だけなので実質的に1打の感覚に近くなったからだと思う。
3段で連続シフトがかなり主張する配列でも、コツを掴めば似たようなことになるのだろうか。
同時押しはロールオーバーして事故になるイメージというか先入観が強く、自分の配列では避けているのだけど、
大岡さんは一切そんな様子はない。
同時押し絡みでもロールオーバーしても大丈夫な文字列を無意識に察知してるようにみえる。
小指の様子も気になる。
薙刀式もマイナーとはいえど小指を使うから、小指もほかの指と同等にキーの近くに構えていなくてはいけないのかと思いきや、
大岡さんはそうでもない。小指がキー表面から離れているタイミングが目立つ。若干小指は外側に開いていて、やや立っているようにみえる。(カメラのアングルの問題で、気のせいかもしれない。。)
私はいろは坂配列でもQWERTYでも小指は立てず寝かせていて、常にがっつりキーを構えている。小指たくさん使うから当たり前なのだけど。。
https://www.youtube.com/watch?v=2pQEVBd_9hw&t=845s
私は薙刀式をちょっと試したとき、なんだかんだ他の配列と同じで小指と薬指の意識もするなぁと感じた。
それは小指と薬指に文字が割り当てられている時点で、いつ使うか分からないから常に構えていなくてはいけないと思っていた。マイナーであっても0%でない限り、構え続けなくてはいけない気がしていた。
(カタナ式を触ったときは別世界の代物である印象が強烈で、薬指を封印するのにものすごく神経を使った(使用開始当日だけかも)。それに比べて薙刀式はふつうのカナ配列のように試用できたので、なんだかんだ同じ世界の配列だなぁと感じたのを覚えている。)
「小指をいつ使うか分からない」というのがおそらく初心者限定の感想で、
大岡さんは小指の出番がくるタイミングをわかっていて、ここぞという時以外は小指の意識をうまく解いているようにみえる。
最近、私も小指を全く使わない配列を使いはじめていて、小指の意識を解くメリットに興味が出ている。
小指はやや立てたほうが薬指のポテンシャルがあがる気がする。薬指は隣の指より高く上がりにくいので、小指の付け根の角度を常に持たせておくと薬指の可動域が広がり、パワーも増す気がする。
また小指に意識があるとタイピングの重心が中指と薬指の間にきてしまい、まぁいろは坂配列では開き直っているけれど、
小指の意識を解けば重心が中指に来て、これはカーソルキーや電卓と同じなので安心感がある。
でも薙刀式での指の重心は人差し指だと思うから、またいろいろと違う感覚なのでしょう。
しばしば爆速の文字列がある。2字が一瞬で出るタイミングがわかりやすい。
噂のとおり、ブレーキがかかるのは主に話題語と句読点で、それ以外のところ、つなぎのことばは基本的に爆速にみえる。
やっぱアルペジオ重視は正義だなぁ。元祖親指シフトとか行段左右分離にはこの瞬発力は絶対にない (と思う)。
アルペジオ重視だとタイパー的な「打鍵の組み立て」がどうしても必要でライター的にはどうなのかとも思いきや、このコストはうまく回避していると想像。もともとアルペジオにするワードを配列設計時に決めていることや、創作文ではタイパー打鍵とは違ってべつに常に打鍵を組み立てて爆速にしなければならない制約もないから、組み立てられたときだけ爆速で打てば良いのでしょう。
たまに単語でも速いものが見られる。「人差し指シフト」「同時押し」が速くて目につきました。
「だいたい」「がりがり」も速かったので、繰り返し系の単語もはやいのかもしれない (同時押しがある配列は基本的に繰り返し系が苦手だと思っていた。)。
緊急事態宣言
特定の長い単語がやたら速く打てる時の楽しさが共有できて嬉しい。
この楽しさはタイパー的なものだと思う (的違いだったらすみません)。
私が順次打鍵カナ配列を使い続ける大きな理由は、特定の文言が慣れればやたら速く打てる事。
ログイン時のパスワードや、メールの「よろしくお願いします。」とか、その程度の話かもしれないけどそれがどうも重要で、
別の配列を使ったときこれらが一瞬で打てなかったら、かなり不快になる。
配列を評価するとき重要なのは総合的な性能を長時間でみる事だろうけれど、どうも印象や好感度は短時間的なもので決まってしまう。とくに配列開発でそうでした。
(QWERTYから脱却できない人の理由もこれな気がする。。)
タイピングゲームは単語か短文だけやたら速く打てればよく、私も含めタイパーはそっちがメインになってしまっていて、それ自体にゲーム的な楽しみを見出しているんですよね。
ともあれ、創作文動画の面白さがわかってきました。
コピー打鍵動画では基本的に、全体を通して速いか遅いかしか興味がなく、タイピングゲームで良いスコアが示されて「あー今のが速いタイピングだったのね」くらいの感想。徒競走は一人が速く走ってるだけでは面白くなく、周りの選手と比べるのが面白いわけで、なにかしら物差しをベースに見ないと面白くない。
また、洗練されたZタイパーより大げさにバタバタ打ってるXタイパーのほうが迫力があるみたいなジレンマも動画的にはある気がする。
創作文動画では基本的に全ての動作に興味があることに気づいた。いかにして自然に文章作成がなされるのかがよくわかって、これがたぶんQWERTYでは相当難しいのだろうから、ここが見どころですよね。
大岡さんの動画は経緯を知らなければもはやふつうにタイピングが得意の人の動画にしかみえないかもしれない。。
タイピングは漢字変換でどれくらい遅くなる?
タイピングゲームでの特訓成果を実践に生かすなら
タイピングゲーム → 和文コピー打鍵 → 作文
というように、和文コピー打鍵で漢字変換を鍛えるのが効果的です。
ですがタイピングゲームと作文の関係をこれまで考えておきながら
これらの橋渡しに相当する和文コピー打鍵の話をあまりしてきませんでした。
タイピングゲームでの経験が作文では大して役にたたないという知見だけでは
ライティング能力不足と漢字変換技術不足のそれぞれの影響が混じっていて、
どっちがどんくらいかがわかりません。
和文コピー打鍵ではライティング能力は関係ないので
漢字変換の影響だけが見れます。
これは単純な仮定をすれば定量化できそうなのでやってみましょう。
結論からいうと、タイピングゲームでの速度と和文コピー打鍵の速度の関係を見るために
漢字一字の変換操作・正誤判断・修正にどれほど時間かけるかという[漢字確定時間]を導入して整理し、
以下のグラフをつくりました。
このグラフはタイピングゲーム上の指の速度が、漢字変換によりどれくらい落とされるのかを表しています。
たとえば10打/秒も指が動く人 (青線) は漢字確定時間が0であればその通りの速度で文が打てますが、漢字を確定するのに時間をかけるにつれ実質的な打鍵速度がどんどん下がるのがわかります。1漢字に1秒かけるようだと平均では4~5打/秒の速度しか出てないことになります。
いくらタイピングはやくても漢字変換が遅かったらしょうがないというのは分かっていましたが、実際に数値化されるとイメージが膨らみますね。
漢字変換の特訓をしなかったらみんな同じところに収斂するなぁとか、
速くなればなるほど漢字変換でつまずいたときのダメージが大きいなぁとか、
漢字変換に1秒かけるとXCタイパーの速度は半分以下になるとか、
Zタイパーが和文でも無双するには1漢字に0.2秒もかけてられないとか、
SSタイパーで0.5秒で漢字出せれば、1秒かけるXCタイパーと同等とか、
Aは漢字を0.5秒で出さないと1000字/10分に届かないから指の特訓の余地があるなぁとか。
作文速度の必要目安と思われる1000字/10分を楽に達成するにはタイプウェルでSSちょい上で漢字確定時間が1秒こえるのでこの辺でしょう。
Zタイパーならタイピング能力的に3000字/10分をゆうに超えるのに、何故これが人類にとって難しそうかというと赤い線を見ると明らかです。漢字変換を全て0.1秒以内に行わないといけません。2500字/10分だって0.2秒以内が必要です。ZタイパーがいてもZライターがいないのはこういう理由ですね。思考速度を持ち出す以前の問題でした。
補足ですが、漢字変換するにはスペースを押さなければならないからコストが0になることはありません。まとめて変換するようにすればスペースを限りなく0にできますが、一方で確認時間や修正コストやIME暴走リスクが増えるので、実際に変換をどれくらいまとめるのが合理的なのかはわかってません。
10打/秒の人が単漢字変換だけで使って、全部スペース1回ノールックでやるとすると漢字確定時間はスペース1打の秒数、すなわち0.1秒です。和文コピー打鍵コンテストの毎パソではこういう世界なのでしょうね。
でもそういう土俵でもない限り、意識しないと漢字変換に1秒かけることもざらにある気がする。漢字変換により思考や連接が途切れるコストもふまえると、漢字確定に人々は1秒くらいかけているというイメージでいいでしょう。
以下に計算過程を書いておきます。細かいところなので読み飛ばし推奨です。
まず漢字に関する情報が必要ですね。
でも私には諸々の知識がないので、とりあえず自分の文章を見てみました。
前の記事 https://menmentsu.hateblo.jp/entry/2020/05/31/193210
では漢字使用率29.15%、漢字ありで3925字、読みを仮名に戻すと4413字なので、
漢字あたりの仮名文字数の平均は2.34で、仮名文あたりの漢字率が25.9%がなりました。
キリが良いそれっぽい数字として
漢字あたりの読み仮名文字数は2.5
仮名文あたりの漢字率が25%
で考えます。
いまから、QWERTYのタイピストが10打/秒で1000文字の和文コピー打鍵をします。
算数をはじめましょう。まず漢字使用率が30%なので漢字300字、仮名は700字です。
漢字あたりの仮名文字数を2.5としたので、漢字を仮名に戻すと
300漢字 × 2.5仮名/漢字 = 750仮名
となります。なので全部で
700仮名 + 750仮名 = 1450仮名
ですね。ローマ字入力では仮名あたりの打鍵数が約1.7ですので打鍵数は
1450仮名 × 1.7打/仮名 = 2465打
となります。これを10打/秒で打つとすれば
2465打 ÷ (10打/秒) = 247秒 = 4分7秒
となります。
これが1000文字を打つのにかかる理想的な時間です。速度をいつもの単位にすると2434字/10分となります。
ここでちょっと待ってください。漢字変換のコストを過小評価していますね。漢字変換には読みの漢字を打つコストだけではなく、変換操作をして正しいかどうか確認する動作が必要です。誤った漢字に変換されたら修正作業も必要です。
この漢字の変換操作・正誤判断・修正作業にかかる時間をまとめて漢字変換のコストと考えられないでしょうか。これを漢字確定時間と呼びましょう。
とりあえず漢字確定時間を漢字1字あたり1秒のケースを考えます。
いま考えてる例だと300字うつから、漢字変換に追加で300秒が必要です。
純粋なタイピング時間が247秒だったから、合計で547秒かかることになりますね。
漢字1字に1秒もかけてたらタイピング時間より漢字を考えてる時間のほうが長くなってしまいました。
ちなみに漢字変換込みの実質なタイピング速度は、
2465打 ÷ 547秒 = 4.51打/秒
となります。せっかくタイピングゲームで10打/秒まで特訓したのに、漢字変換に慣れてないと台無しですね。
というようにして、諸々の条件で同様に計算できるので、冒頭のグラフが得られます。
ちなみに作文向けの単位にすると
1000文字 ÷ 547秒 = 1097字/10分
となります。十分実用的な数値ですが、それでもタイピング能力自体は2434字/10分だったわけで、トップレベルのタイピング技術を持ってても作文の土俵では平準化されがちです。
結局ライティング速度は
タイピング技術×漢字変換技術×思考×下積み量
の掛け算で決まるのではないでしょうか(微妙にこれらは独立変数では無いっぽいですが)。
私のケースでは、軽い創作文 (下積み影響なし) ではどうも1700字/10分程度で頭打ちになります。
それをコピー打鍵すると2100字/10分あたりにいつも落ち着きます。思考によるロスが400字/10分に相当するのでしょう。
常用タイプウェル (JISかな換算280打鍵) は27秒で、まぁさすがにTW常用語だけでは作文できないから普段使う単語ではタイプウェル約35秒相当ということにします。これをベースに諸々の計算をすると2700字/10分となります。差分の600字/10分が漢字変換によるロスなわけですね。
和文速度をa、(タイピングゲーム等から予想される)理想速度をb、漢字使用率をcとすると漢字確定時間は
(1/a - 1/b) / c
で求まります。漢字を30%として単位に気をつけて計算すると、自分の漢字確定時間が0.21秒と求まりました。
私は単文節変換が主体ですがノールック漢字変換のために辞書を作り込んで拘っているので、スペースは多いけど判断時間が短いほうだと思います。ただ普段ずっと0.2秒で漢字を確定できているかというと、常にそこまで気合いは入れてないと思います。
もう少し数値遊びできそうですね。人々の漢字確定時間が実際どれくらいなのか知りたいので、打鍵動画漁って注視する。。?
まぁでもこの記事は3000字ですけど書くのに4時間はかかっているんで、125字/10分ですよ。和文コピー打鍵を鍛えれば効率向上するなんて作文素人にとっては空想上の話で、タイピングスキルの実用面での無力さを自分で実証してしまうのでした。
(雑)ぼくが同時打鍵できない理由
これは個人の感想でしかないし、真面目に腰を据えて同時打鍵を特訓しようとしたこともなく、
食わず嫌いほどではないけど一口でやめてしまうレベルなので雑談でしかない。
同時打鍵が苦手なのはQWERTYを打てる人しかいない気がしていて、同時打鍵を必要とするのはQWERTYを打てない人だから、この議論にあまり意味はないと思ってる。
ただもしデファクトに同時打鍵配列が採用されたら同時打鍵が性に合わない人が出てくると思うので、
私の同時打鍵に対する苦手意識をとりあえず書いてみる。
同時打鍵は手書きに喩えると、1画目と2画目を同時に書いてくださいといわれるようなもの。
まずペン (=指) が二本必要となる。いくら手書きとはいえペンの二刀流で書く人がいたら、それは同じ手書き (=タイピング) と言って良いのだろうか。
わたしからみれば、同時打鍵論者は「ペンを2本使ったほうが速く楽に書けますよ」と言っているようにみえる。
理論的にたぶん正しいのだけど明らかに異端だし、書き順 (=連接) という一本のペン先が描く流れを軽視している事に違和感を覚える。
タイピングで速く打つには脳内での打鍵イメージの組み立てが必要で、ざっくり説明すると、脳内に描かれているキーボード上に一筆書きのラインが現れるから、このラインに沿ってなぞるのだ(QWERTYをある程度打てる人はこのプロセスが得意だと思う)。
もちろん一本指じゃないし、なぞるといってもライン上の数点を一番近くにある指で順次タップするだけなのだけど、一本道でイメージするのが重要。
無意識化されるとキーボードが脳内に現れなくなり指が勝手に動くだけになる。漢字を書く時もペン先が勝手に動くような感覚で、一画ごとにいちいち頭で考えてないはずだ。
ペン2本の例に戻るが、たとえば二本線を書くだけなら確かにペン2本使ったほうが速いだろう。でも字を書く上では書き順という流れが決まっており、それに逆らってまでペンを2本使うメリットはあるだろうか。
ペン1本でも素直に流れ通りに書いたほうが結果的に速そうだし、頭も疲れなさそう。書くのが上達するにつれペン1本でもすらすらと書けるようになり、ペン2本使うメリットはなくなってきそう。
ペン2本でも別途書き順を定義すればいいけど、右手と左手を同期や連携させながら字を書くのは理論上は速くても面倒すぎてとてもじゃないけどやってられない。
さらに文字を書き順通りに書く時、それぞれの画にかける時間は毎回同じだろうか。
たとえば「三」って書く時、急いでるときはしゃしゃしゃっ、って感じで、どの線もほぼ同じ時間ですばやく書くだろう。
でも気持ちを込めて書くならどうか。極端な例が書道で、私は全く知らないから適当に想像でいうけど、1画目は等速気味でややゆっくり、2画目はすばやく、3画目は出だしは筆圧上げてやや速めで筆を返すときに気持ちをこめてしゃっとする感じだろうか。
同じ漢字であっても毎回同じように書くとは限らないが、別にペンを1本しか持ってないならこれはあまり関係ない。どう書こうがシングルタスクで、2本目は1本目を書き次第、3本目は2本目が終わったら。。というような作業でしかない。
ところがペン2本使うとマルチタスクの問題になる。
たとえば「三」を1本目は片手で書き、2本目と3本目はペン二本使って同時に書くとしよう。
まず1本目を書いているときは片手が暇になる。右手で書いているなら、左手はなにもせずタイミングだけを伺っている状況だ。これはペン1本の時には無かった状態だ。
その次に2本目と3本目を両手で書こうとするのだが、まず線の長さが違う。いまはとりあえず書き始めと書き終わりのタイミングをそろえるとすると、二画目は遅く書くか、速く書いても右手の三画目が書き終える待たないといけない。もうだるい。
二画目はすばやく、三画目は気持ちを込めて筆圧あげてゆっくり、のような配慮はもはやできない。
つまり、ペン二本同時使えばたしかに文字は速く書けそうだけど、書き順に時間指定が追加され、自由度が減り、雑な字しか書けなくなる。
まぁタイピングでの同時打鍵はここまで大げさではない気がするけれど、方向性としてはこの手のことを同時打鍵ありの文字連接で感じるわけです。たとえば濁音が同時押しの配列を想定して次の例を考えよう。
ありがとう
という連接は、別に毎回同じテンポで打ってるわけじゃない。チャットならお礼は早く言わないといけないから急いで圧縮するように打つだろう。小説ならキャラが感謝を表意するシーンということでじっくり気持ちを込めて打つかもしれない。
いま、仮に濁音の「が」だけが同時打鍵だとしたら、どのようなテンポで打つことになるだろうか。同時打鍵前後で指の同期を気にしないといけないので
あり が とう
のようになる。
もし声だったらこれで人に感謝される「ありがとう」になってるだろうか。明らかに不自然である。
じゃあどうすれば自然なタイピングになるかというと
あ り が と う
のように打つことである。つまり、同時打鍵ではない打鍵でも圧縮せずに減速ぎみに打っていれば、同時打鍵でつまずくことはなくリズムに乗って打てる。
でもこれは同時打鍵の存在によりその他の打鍵の天井まで低くなるということで、本来速く打てたはずの連接まで遅く打つのが気持ち悪い。
自分の意志でゆっくり打つのは一向に構わないけれど、
道具の制約によって常にゆっくりを強制されることが自分の性にあわない。
順次打鍵は順番だけ守ればいいから状況や気分に応じて好きな速度で好きに打てる。その自由度が好き。
たぶん真面目な文章作成では、語弊があるかもしれないがマイペースに書けるから、同時打鍵でテンポが落ちたり、前後のふつうの連接までゆっくりになることは気にならないと思う。
現に同時打鍵でタイミング調整のための空白の時間は0.2秒もあれば十分であり、 幸い人間の思考速度はそこまで速くないらしいから、文章作成において同時打鍵まわりでの減速が足を引っ張ることはないと想像する。
でもチャットだとか、急いでメール出すときとか、明日までに提出の報告書を作るときや、あとタイピングゲームでは、あえてゆっくり打つ配慮などしてられない。
同時打鍵を含む配列のタイピングゲームでは、同時打鍵は原理的に速く打てないから、同時打鍵以外をいかに圧縮するかということになると思う。そうするとテンポがかなり不安定になるのは想像に難くない。
タイピングゲームならいいけど、実際に使うときに不安定なテンポだとスピードを出しにくいから、速く打てたとしてもあえて減速して打つと思う。(実は順次打鍵の4段配列にも似たような事情はあるんだけど。。)
要するに諸悪の根源は私が不真面目なタイピングばかりしてるせいですかね。
結局キーボードは文房具なのか口なのかという議論の延長線上だったのかもしれない。
同時打鍵には例えば「0.1秒以内に2字以上は出力できません」というルールがあって、ペンで0.1秒間で2字書くのはちょっと考えられないから関係ないけど、喋っているときだとたぶん、かなり不快なルールになると思う。喋り言葉もいろいろで、個性に応じて言葉を無意識に圧縮したり省略したりしますよね。このルールを守れるのはカラオケか、丁寧な朗読くらいになると思う。
もちろん私だって真面目に練習すれば同時打鍵が多少はできるようになると思うけれど、それは1からタイピング練習を始めるくらい大変と想像する。
新しい配列を覚えるのは新しい漢字を100個くらい覚える程度の感覚だけど、
そもそも一度順次打鍵で確立したタイピングから初めて同時打鍵するとなるとペン2本を持った手書きという新しい入力スタイルを一から学ぶような感覚であり、
そこでは今まで学んできたことはあまり生きないと想像する。
ペン二本で文字を書く喩えはというのは私の主観的な同時打鍵の異質さをよく表している気がする。喩えきれてない部分もあったけど、まとめるとこんな感じ。
同時打鍵 = ペン二本 vs ペン一本 = 順次打鍵
ペンの本数 = 一回の打鍵に必要な指の本数
書き順 (正解があり、義務教育で教わる) = 打鍵連接 (正解は人それぞれで認識も曖昧、成人後に身に付ける人も多い)
(雑)日本語こわい
日本語はふつうに文章を書くだけで文体から書き手のスタンスや性格や人格までも見通せてしまうので、こわい。
そりゃ日本語いろいろ奥が深いだろうけど、ブログや日記やSNSでは自分のキャラを反映した文体を使いたい。
でも自分に合う文体がなかなかないなぁとブログを書いてて思う。
偏見が含まれてるであろう私のイメージは以下のとおり。
~だ調
厳しいかんじ。思想を啓蒙するときに使う。主張には客観性があるとは限らない。
言い過ぎな感じはある。私のキャラではない。
ただ「だ」でいろは坂配列で一打で打てるのは良いかもで、清濁別置のアピールポイントの一つだ。
~である調
~である と ~だ 大体一緒なんだけれど、私は前者のほうが客観性が強いように思う。論文調。
「~である」は批判できるものならしてみろ、みたいなイメージ。
「~だ」は批判は歓迎、どんどんかかってこいやみたいなイメージ。
まぁ普段の私のキャラではない。。
~です調
丁寧すぎる。ネットで丁寧語にする必要ある?敬意を払うというより、批判が怖いときに使う。リアルでもその気はあるけど、ネットでは特にそういう印象がある。少なくとも私は。
質素すぎるイメージもある。
~だよね調
もともと主観要素の強い「だ」に「よね」という押し付けが加わりさらに主観的になったイメージ。
でも「よね」には柔らかさもある。口頭ではよく使ってそう。
~ですよね調
自分のキャラに近く無難感ある。
客観的には~なんですよ。だから貴方も信じてください?みたいなスタンス。
私のように何かを主張したいが批判されるのは慣れてないキャラに合う。
ただ文章が長くなりがちなんですよね。情報量に対して密度が薄くなりがちです。いろは坂配列で書くとこの文体になりがちなのは、書くことないがたくさん打ちたいという欲の結果かもしれないですよね。
~だぞ調
マウントを取りたいだけのネトウヨって感じ (偏見まみれ)
それか、批判対象がよほどアレなとき痛烈に批判するときに使うもの
口なら言い方次第で柔らかくなるけど、文字にするときつい。
体言止め・言い切り調
これ使いこなしたい。タイピング効率最強。尖ったキャラにも案外なりにくい。
SNSでもわりとよく見る。自称達人系の垢がよく使ってる?
文字数が少ないSNSと相性がよく、達人は多くを語らない性とも合う。
ただ長い文章で言い切り調だと読みにくいかも。
文体によって最適な配列は違うでしょうね。
ちょっと調べたら、こちらのサイトがわかりやすかった。
http://yellow.ribbon.to/~ujiro/hindo.htm
ブログとメールの違いで、相対的にメールで多い字はこれらしい。
す ま せ ご ね へ ぷ
すませ はどれも敬語でよく使いそうな文字ですね。
ね は表現を柔らかくするのでこれも増えたのか。
いろは坂配列で考慮したのは「よ」「ね」
~よ、~よね は私が好きな言葉。なにかと無難。
「よ」はTABキーで、普通はあまり打ちやすいキーとはみなされてない気がするけど、私の感覚では二等地。いろは坂配列の左小指は「た」「と」「る」のように文節終わりにきそうな言葉が多いが、「よ」もそこの仲間入りをさせた。
「ね」は基本的に頻度が低いとされ、たとえばいろは坂でも「ね」をシフト、「ば」とかを単打にしたほうが打鍵効率が上がる。でも「ね」がシフトなのは許せなかった。自分の文体ではもっとも重視してる文字の一つかもしれない。
いろは坂配列ではどちらかというと口語寄りの文字データを参考にしてる。自分が国語力がないこともありあまり文語に愛着がなく、もっとくだけた表現が打ちやすいようにした気がする。
現代の配列はどれも (私からみて) 硬い日本語に最適化されているようにみえて、もっと若者が使うチャット調の言葉とか、スラングが打ちやすい配列があってもよいと思う (そうこう言ってるうちに自分もそっち側ではなくなってきたのだけど)。
ちなみにいろは坂配列では「ぞ」がわりと、というか相当打ちにくいです (\o)。たぶん自分が「~だぞ」という発言を一切しないせいですね。
かな入力なら静音高速タイピングができる
これはいろは坂配列をやる前、JISかな触ってた時から思っていたけれど、
かな入力なら静音高速タイピングができるから、外でタイピングする時にあまり気を遣わなくてよくなる。
QWERTYローマ字入力は速く打てる配列かもしれない。でも静かに打つのはほぼ無理だと思う。
打鍵数多いことに加え、同じキーが連続して登場する事が多く、指をバタバタさせないと速く打てない (ロールオーバー打ちが出来ず撫で打ちがしにくいため)。
「あなたは働かなかった」anatahahatarakanakatta とか静かに速く打てる?
周囲に気を遣えない人はガチャガチャガチャ ッターン!!ってやっているけれど、
そうでもしないとQWERTYでは速く打てないし、静かに打ってては仕事が捗らないのは事実だから、しかたがないとも思える。
でも、かな入力なら打鍵量が少なくぽつぽつ打っているだけで速く打てるので、音をさほど立てずにタイピングできる。
人がいるところでもさほど気にせず高速タイピングができるのが、かな入力の大きなメリットだ。
QWERTY配列はじゃらじゃら打てて楽しいしポテンシャルも高いけれど、ゲーマー向けの配列といえる。
タイピングゲームには向いているけど仕事には向いていない。うるさいし面倒だから。
ゲーミングキーボードによく採用される青軸がうるさいのと似ている。楽しいけれど、外では常識的に使えないと思う。
いまどき一人で閉じこもってタイピングする仕事は少ない。
作家さんでも家に閉じこもって作業するだけではないらしい。
あ、でも在宅ワークが広まればデスクワークがどんどん家でやるようになるから、
今後はうるさいタイピングをしても許される環境は増えるのかな。いやぁどうだろう。
ともあれ、たぶんほとんどの人は周囲に迷惑かけないようにオフィスやカフェや新幹線の中ではあえてゆっくりタイピングするように気を付けていると思うけれど、
かな入力はじめれば、今ほど気を付けないでもよくなるのでおすすめする。
面倒くささに気づくこと
面倒という感覚はどこからくるのか。
私は特にガラケーに困ってなかった。スマホが台頭してきても粘ったほうだ。
iPhone6が出たときにはもうガラケーが品薄になってたこともありスマホにしたけれど。
スマホを手にしてからも、別にガラケーでよかったんじゃないか?と思うこともしばしばあった。
スマホは高機能すぎて面倒に思えた。使いこなせなかったし、使いこなす用途もなかった。
ただその後いろいろアプリを入れるようになり、スマホでしか出来ないことに手を出すようになった。また、特に地図ツールの快適さに感動した覚えがある。ふつうにPCみたいにサイトが見れるのも凄い。
というようにして、スマホは高機能で面倒という認識から、ガラケーは低機能で面倒という認識へとすり替わっていった。
では、ガラケーだけしか触ったことない人にガラケーの面倒さ、スマホの便利さを伝える術はあるのか。
私ははっきりいってNO IDEAである。
ガラケーで満足してる人にスマホを押し付ける道理がどこにあるのか。
自発的に面倒くささに気づくのは難しい。
たとえば、PCを買い換えた直後に、はじめて今までこんなに低スペックで不便していたことに気づくとか、
また、メガネを初めて買ってはじめて自分の視力がこんなに低かったのかと気づくというようなもの。
上の世界を知って初めて今までの面倒くささを自覚する。
ガラケーからスマホへの転換で重要だったのは、やはり同調圧力だった思う。
周りがみんなスマホになっていったから渋々スマホに変えた。LINEのようにスマホでしか出来ない事をみんながするようになった、というのはスマホ移行動機としてあるあるだろう。
ただもともと同調圧力が強すぎればガラケーからスマホに置き換わることもなかったはず。でも同調圧力はガラケーで粘ることではなく、スマホを一早く普及させるために働いたようだ。
数値性能的には明らかにスマホのほうがよかったから、そういう機器が好きな人であれば個人的な理由でスマホに移行するのは理解できる。スマホはミニPCだ。
また、人柱的な目的で新しいものに果敢に首を突っ込む層もいたことだろう。
というように、確実に良いものが出れば、保守的な同調圧力に逆らって首を突っ込む層は必ずいる。
そこでポイントだったのは、スマホは一度触った者を逃さなかったからだと思う。
スマホを使いこなした者は絶対にガラケーに戻ることはできない。といったらさすがにいいすぎだけど、少なくともガラケーに戻る人は身の回りでそうそう見当たらない。
パラダイムシフトは二段階からなり、一段階目は人柱の確保、二段階目が同調圧力による浸透。
いつもの話に戻れば、QWERTYから新配列の置き換えは今後どのように進むのだろうか。
親指シフトは配列界で唯一、二段階目の同調圧力による浸透のステージまで到達した配列だ。爆速で打てるという評価は経緯はともあれ固まったので広まった。結局QWERTYを駆逐するには至らなかったのは評価の客観性が不足してたからだろう。でも最初から客観的に評価がなされていればNICOLAは全く流行らなかったかもしれないし、難しい。
新下駄配列では評価は固まってきてるようで、二段階目に踏み入れようとしているようにみえる。「新下駄は速く打てる。なぜなら新下駄を習得した人はみんな速く打てているからだ。」と思っている人は多そう。少なくとも私もそう思っているし、誰でもXタイパーになれる唯一の配列だと思う。
でも多くのマイナー配列、いろは坂もそうだが使用者が開発者しかおらず、二段階目はおろか一段階目にすら届かないものも多い。親指シフトの後続がなかなかでていない現状だ。
スマホのように、新配列も獲得した使用者を逃さなかったかというと、残念ながら右回れした使用者も多かったと思う。もちろん新配列が良くても環境的にQWERTYの呪縛から逃れられず断念した人も多い。一方で新配列は使用感としてもなんかしっくりこなくてQWERTYに戻ってしまう人もいる。
そもそもQWERTYがガラケーで新配列がスマホかというと、一概にいえない。むしろ逆の見方のほうがしやすい気がする。たとえば親指シフトはむしろ文章作成に必要最小限の機能しかないようにみえ、そのガラケー的なシンプルさが魅力ではなかろうか。QWERTYならタイパー的打鍵が可能だったり、高速アルペジオを習得しやすく打ってて楽しいという魅力はあるようだけど、そんな機能は実用上不要とみなされても仕方ない。
新配列を触ったことがあればQWERTYの面倒さを相対的に認識できるが、
新配列を触る前に絶対的な指標でQWERTYの欠点に気づくのはすごく難しいと思う。
最初のきっかけを掴むのは、腱鞘炎になりでもしない限りはほぼ無理なんじゃないか。それでもQWERTYでさえも腱鞘炎になるには一日平均数千字は打たないといけないと思うので、そのレベルでタイピングに没頭してはじめて痛覚により「この配列おかしくない?」と気づかされる。
でも腱鞘炎になってからでは遅いから、その前になんとかしたいものだ。