新かな配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

配列をマスターする事をマスターする事を忘れた

いろは坂配列を作ってしまい検証も済んで暇になったから、継配列とか雀躍配列だとか、他所様の配列だとかわせみ配列とか英月配列とか薙刀式とかを触って、配列による打鍵感の違いをいろいろと研究しつつ楽しんでたのだけど

さっき久々に継配列を練習しようとしたらすぐ嫌になってしまった。

 

配列をマスターする事をマスターするというのは、例えばQWERTYしか触ってこなかった人が急に新配列を練習すると頭痛がするレベルで本当に苦痛なのに対し、いろいろな配列に手を出したり、改良しながらそういった経験を積んでいくといつしか配列を新しく覚えるのが苦でなくなり、かつ初めから一定の速度、とはいっても1打/秒くらいではあるが、文字がどこにあるか分からず悶々とするような瞬間が無くちゃんと扱えるということだ。

 

その能力を私は一度得ていたにもかかわらず、今日気づくと失ってしまっていたように思えた。あれほど打鍵感を楽しんでいた継配列がなんか苦痛だったのである。

多分それだけ、いろは坂配列の練度が上がり愛着が湧いたという事だと思う。

配列を固定してから1年経とうとしてるいろは坂配列が無意識のレベルまで脳の内部まで相当浸透してきており、他の配列を使おうとしてもいろは坂の打鍵記憶が無意識に出てきてしまい、邪魔をするような感覚。一生懸命いろは坂の癖が出ないように意識するとそれはそれでかなり精神を使う。そんな状態。

別の見方をするといろは坂配列を扱う作業の第一の脳から第二の脳 (指) への移管が完了したような感じ。タイピングはほとんど手続き記憶で行っており、これにより第一の脳が怠けたり他の事の考えていたとしてもタイピングできるようになった。

こうやって書いてる文章自体は新しいものであるが、打鍵の連接はほとんど学習済みのもの = 手続き記憶で対応できるもの、となったという事だと思う。

 

他の配列を手を出すと、手にとるように本業のいろは坂配列の記憶が汚染されるのが分かってしまうようになった。かつては本業をマスターすればむしろ記憶が確固たるものとなり他の配列に手を出しやすいのでは?と考えていたけれど、今のところそんな気配はない。むしろ逆で、私はいろは坂配列で高度な打鍵 (タイプウェルで単語まるめて体感一動作で瞬殺するような打鍵) まで無意識化しようとしているので、むしろ記憶が繊細なものとなってしまい、ちょっとした他の配列の体験まで邪魔される気がする。実際、過去に継配列を一週間ほど練習したときはいろは坂配列が常用ZJから常用XDくらいにまで落ち、戻るまでやはり一週間ほどかかったと思う。

ローマ字とかな入力は混ざらないなんて言われるけど、トップレベルのかな特化タイパーはローマ字も打てるがあえて打たないようにしていると聞く。本業でないローマ字入力をすることでちょっとでも変な癖が付く事を懸念しているのだろう (逆にかな入力も速いがあくまで本業はローマ字という人は両立できているようだ)。その配慮の必要が生じる次元が分かった気がする。tkenさんもローマ字とかな入力は実際ちょっとは混じるという事を証言していたと思う。

 

楽器の世界ではマルチプレイヤーといって、いろんな楽器を扱えてしまうプロがいる。これは普通の演奏者から考えて極めて異常な能力だ。配列屋はこれに似てるかもしれない。

とはいえ、彼らがオーケストラで必要とされることはない = 実用的には一芸に秀でていればよく、他の楽器に常に浮気してるプレイヤーは一途に一つの楽器に打ち込むプレイヤーには敵わない。

と考えると、タイピングマスターになるには配列屋を卒業しないといけないのかもしれない。

 

タイパーと配列屋を両立するには、例えば本業の配列で本気出せば200CPMの速度が出せるのだけど、わざと150CPMくらいに能力を落とすような配慮をしないいけないだろう。まぁどんな趣味・芸当でも複数手を出すとなると同じかもしれませんね。