幼少期でしか習得できない技術の行く末
成人前からパソコンに触れてきた若者の間ではあまりQWERTYの非合理性は語られません。
フリックが台頭してきたとはいえ、タイパー文化もなんだかんだまだまだ健在で、最近でもVtuberたちが何か新しいタイピング企画を始めたらしく、タイパー集団よりももっと広い層で高速QWERTYタイピングが盛り上がってるようですね。若年層が中心だと思いますが。
ただそれでもQWERTYは義務教育ではないので若者でもキーボードをあまり使わない人はいるし、これからはスマホの台頭でますます若い時にタイピングを習得しない層が増えると考えられます。
私はQWERTYローマ字を10歳前後で習得してしまったので、QWERTYのデメリットについて客観的に把握できません。配列屋としては致命的です。
もともと私がタイピングが好きになった理由の一つは手書き作文がほぼ出来なかったからです。
国語が苦手で手書きが駄目駄目なのに、こうやって文章入力をする資格を私に与えてくれたのがタイピングであり、ある意味新人類かもしれません。
私は手書き偏差値30ですね。手書き作文は小学校の文集で嫌々書かされた以降、ほぼやっていないです。手書きレポートの提出ではパソコンで書いたものを丸写ししました。
椅子に座って机の上の紙を見続けるなんて首が痛いし、右手しか使わないし。あとペン先を思いのままにコントロールできないので多分手首の性能が悪いんだと思う (タイピングでも指より先に手首が腱鞘炎になる)。
字を速くきれいになんて無理だし、字体から性格診断されるのも気持ち悪いし、字きれいな子は生まれながらにそんな気がするので不公平です。
手汗多いほうだからペンもべちょべちょになるし、すぐに紙が汚れる。めんどい。
丸暗記しかできなかった頃は勉強でとにかく書いて覚えることを徹底していた気がしますが、思考能力を手に入れてからはそれも少なくなりました。
作文ができない事により文章に感化される機会も減ったと思うので、手書きを好きになれなかったのは自分が文系に進まなかった大きな理由かと思います。人生も知らず知らずにだいぶ損してきたんでしょうね。
フラットに考えて、手書きという手法は生物にとってまったく習得容易ではない技術と考えています。他の生物はおろか (そもそも字の概念がないけど)、人間の中でももともと選ばれし者にしかできなかったんではないでしょうか。
キーボードでは一字を出すのにキーを指でちょんって押せばいいだけなので、たぶんサルでも猫でもできます。一方で手書きだと明らかに面倒で、まず文字の形状を正確に把握していないと無理です。一本指タイピングより難しいです。記憶コストも高いし、そのうえ入力手続きも複雑です。漢字とか何画あるんですか、一字出すために何重のシフトを覚えなくてはいけないんですかという。キーボードだと鬱ってみんな打てますが、実際に書ける人は半分もいないんじゃないでしょうか。
ではなぜ手書きが不合理だ、ということにならないかというとまぁ説明するまでもないんですが、壮大な歴史的背景と手厚い義務教育という二方向から現代日本人がほぼ全員洗脳済みだからです。
数千年前に始めて人類が初めて文字を書いてから、文字に起こす手段はそれしかなかったわけであり、圧倒的な歴史があります。筆がいつから登場したかは知らないのですが、でもこれだけの歴史があれば手書きができない事で人間社会での生存競争に不利であった事も少なからずあったと思うし、手書きが出来るような遺伝子が優先的に現代に伝えられているとも考えられるでしょう。
手書きに対抗する手段としてタイプライターが登場したのは150年前だし、ワープロは40年前だし、パソコンの普及で誰しもがキーボードを使うようになったのは本当に最近ですよね。手書きは不合理だから廃止してキーボードで統一したらどうかなんて、口が裂けてもいえません。
もうひとつの柱は義務教育で、日本は識字率ほぼ100%で読み書きを小学校で必ず叩き込まれるから、子供のチート級の脳の柔軟性により適応できるのでしょう。
手書きは技術的に複雑で習得難易度が高いので、逆に一度覚えれば恩恵が大きいんだと思います。実際キーボードよりも手書きのほうが物事の暗記に有利なのは確実ですが、それは一字一字をキーボードより遥かに複雑な手続きによって書くので、脳に刻まれやすいのでしょう。人間が獲得した高度な思考能力とも切り離せないと思います。
実はQWERTYにも似た面があるかと思います。QWERTYの配列面も打鍵パターンも複雑なので文字ごとに必要な連接・指の連携法が異なり、手書きほどではないにせよ一字一字の入力手続きに差異があります。表面上は効率が悪い配列なのに習得者が妙な執着を見せるのは、そういう理由かもしれません。たとえば行段左右分離は交互打鍵ばかりだから、全部似たような手続きで文字を出すから記憶に刻まれにくそうで、楽だけどなんか微妙でちゃんと書いてる感じがしないという感想になるのでしょう。
それに加え、たとえば私の場合、小学校高学年〜中学生のころは家にいる時はチャット漬けでした。ケータイはまだ中学生にはあまり届いてなくて、LINEでもメールでもなくパソコンでのメッセンジャーの時代でした。QWERTYにはそれはもうさまざまな感情を乗せてきたわけであり、愛着は自分自身でも把握しきれないもので、言葉で表せるようなものではありません。いまの30付近の人、特にタイパー世代ではこういう人も多いでしょう。
一方で習得に高度な技術を要するQWERTYには手書きのような文化的背景は一切ありませんし、成人してから習得の必要に迫られた人も大勢いるわけで、そりゃこうなりますよね。手書きと違い、新配列という成人でもような習得できる明確なQWERTYの代替手段があるわけです。一方でデファクトからQWERTYを落とすには今のアラサー世代を説得しなければいけないわけで、そりゃ混沌としますわ。
それはさておき、気になったのは成人になってからQWERTYを始めるのは、幼少期に読み書きの機会がなかった人が成人してから手書きを始めるのと似ているのかなぁということ。
識字率が低い国だとそういうことも多々ありそうですよね。あまり積極的に調べるのも気が引けますが。
たとえば以下のような記事は見つけました。
「小学1年生に相当する識字能力」をどう読めばいいのかわからないけれど、
少なくともこういう記事になるのだから、常識として成人になってから読み書きを特訓するのは遅すぎる、という前提があるのでしょう。
識字率だとどうしても読みと書きがセットになり、読めるけど書けない人のデータがとりにくいし、書く能力が実用性が伴っているかどうかを判断するのも難しいから、なかなか情報がなさそう。。
読めるけど書けない状態というのは、利き手の逆でペンを持つとわかる。特訓すれば今からでも左手で書けるようになるのかな?まったくそんな気がしないからやる気も起きないのだけど。これが両腕なのが読めるけど書けない人の状態だろうか。
字は読めるけどタイピングできない人ならたくさんいるのにね。。
成人の適応能力の限界って配列界でもたぶん死活問題なんですよね。
そして技術的関連性が極めて高いにもかかわらず今まで配列屋とタイピスト集団の交わりが少なかったったのも、これによるものでしょう。タイピストは成人前からQWERTYを始められたラッキー集団で、一方で配列屋は成人の適応能力の限界の中で効率を追求するので、タイピストから配列屋を見ても何かの縛りゲーをやってるようにしかみえず理解はできません。同時打鍵へのタイピストの理解の低さが例です。
でもQWERTYが打てるような異常な指の能力がなくても高速入力を可能にしたのが同時打鍵であり、そう考えると同時打鍵は凄い。
私はQWERTYで腱鞘炎になった時期もありましたが今は克服しており、お気に入りのパンタグラフキーボードで1日あたり15万打鍵くらいで3日連続程度ならふつうに打てます。
私はQWERTYのデメリットが実感としてあまり分からなかったサイドの人間です。いや、でした。
ところがですね、ちょっと前の記事にも書いたように新しい行段左右非分離配列に手を出してみました。
QWERTYのよさを抽出した配列のつもりです。
そしたら手が痛くなりおかしいぞ。。?っていう
QWERTYのような高性能じゃらじゃら配列で手が痛くなるとはこういうことだったのか。
ロウスタで左手首が壊れるのは定番ですが、私が痛くなったのは右手首から薬指の付け根にかけてで、経験したことないパターンです。
QWERTYよりも薬指の役割を増やしたのもあるけれど、
アルペジオが多く性能は高いらしいが、人間には扱えない可能性がある。。
結論出すのは早いですが少し不安になっています。私がQWERTYを使えるのは幼少期の訓練の賜物でしかなく、成人してから数値上はQWERTYの上位互換の配列を使おうとしたって、すでに当時の適応能力が失われているので自分のQWERTYを超えられないかもしれません。
いろは坂配列ではQWERTYより全然指動かさなくても速く入力できるので問題ありません。もともと単打特化にしたのは、成人してからは新配列を使おうとしても打鍵速度の限界突破は見込みが高くないと思ったからです。清濁同置ですとJISかなと大差ない結果になるのをおそれ、清濁別置になりました。
でもいろは坂配列は完成したことですし(結局修正はやめた)、以前諦めていたことに再挑戦しようと思ったんですけどね。。楽に速く打てる行段配列があるならそれが最強に決まってます。
ハイテク文化の発達で子供が手書きする機会が減ってると思いますし、いまはスマホ・タブレットというパソコンよりもっと手近なツールを子供が手にするようになりました。
私は小学生のころ原稿用紙への作文はできませんでしたが、QWERTYで日記をつけたりホームページを作ることは自由にできました。
今だともしかするとフリック入力は出来るけど手書きができない子もいるのかも。。想像するとさすがに恐ろしい。