いろは坂配列練習道場

~単打最多の最凶かな配列を10本指で調教しよう~

楽器は声を超えられるか

結論からいうと無理です。

音楽性において声がもっとも優れており、感情を乗せやすく、倍音に富んでいて美しいとされます。

 

キーボードを介したタイピングは手書きを超えられるか?という議論について、

楽器を介して奏でる音は歌を超えられるか?というのと似ていて、

まぁ他にも似た例があると思うが、私は管楽器経験がありやや詳しいので述べてみる。

 

私の偏見もありますが、

楽器のなかでもっとも声に近いのはバイオリンです。

音は大きくないけど遠くまで芯の通った音が響く。

同じ音符であっても弾き方は実にさまざまで、わずかに高くして浮ついた雰囲気を出すのもいいし、暗くして悲しい雰囲気にしてもいい。

 

次に近いのはフルートです。

フルートは人の息が直接音になるという点で、声に近いです。

でもバイオリンほど音を多様に出せないので、バイオリン的な倍音に富んだ音を理想にして練習します。

同じ音符でも息の当て方ひとつで音を高くしたり低くしたり、明るくしたり暗くしたりできるので、感情を乗せやすいです。

リコーダーは、よくみんなが指をつっこむところのエッジに息があたって渦化されて音が出るんですけど、エッジの角度が固定なので同じような音しか出せず表現の幅が限られてますね。

 

つぎに金管楽器。トランペットとかトロンボーンとかホルンとか。

唇を振動させて、それが増幅されて音となる。

人間由来の音ということで、その点でポイントが高い。

 

つぎにリード楽器。クラリネットとかサックスとか。

残念ながら音の正体はリードと呼ばれる木製の板の振動であり、人由来ではない。なので感情を乗せて音に命を宿すにはワンクッション必要なイメージだ。

 

人由来ではないのはバイオリンもそうだけど、やはり弦の表現力の柔軟性が凄まじい。。

 

で、ピアノがつぎくらいで、ピアノでは強い、弱いはできますが1つの音符について高低差をつけられないため、表現力に限りがある。

その結果、指をいかに速く動かせるかどうかが重要となる。

ピアノ経験者があることと管楽器がうまいことがあまり関係ないのはよく見てきた。一つの音符に対するバリエーションの付け方を知らないから当然だ。

ピアノでは表現力の癖は楽器の影響が強いらしい。ヤマハは落ち着いているから奏者の個性を出しやすいが、スタインウェイは明るく、誰が弾いても華やかになるというのは私でも噂を聞いたことある。

コンテストでは同じ奏者でも曲によってピアノを使いわけるらしい。まぁピアノを持参するわけにはいかないからマイピアノというわけにはいかないだろうけど、でも複数の楽器を短期間の同じ舞台の上で使いわけるのは音楽界では異様だ。ふつう道具と体は一身であり、たやすく乗り換えが効くようなものではないからだ。

 

ピアノはタイピングに似てますね。

キーボード、という言葉からも明らかでしたね。

 

音を表現するにはいろいろと手段があるように、

字を表現するにもいろいろとある。

でも基本は3種類である。

喋ること、書くこと、そして打つことである。

 

喋ることは書くことを凌駕するか?

逆に書くことは喋ることを凌駕するか?

という類の議論はだいぶ無意味で、そもそも役割が違うし、

理想的には両方マスターして使い分けるべきもので、どちらを選ぶという話ではない。

 

キーボードの登場により新たに「打つこと」が現代において追加された。

そして、打つことの意味や立ち位置は、いまだ定まっていない。

 

もともと打つことには活字化という明確な役割があり、少し前まではそれだけが目的だった。

近年まで存在したキーボードのタイピストがそうだし、もっと遡れば活版印刷機の技術者がタイピストと呼ばれていた。

 

とはいえ、じゃあ現代でもペンで書くことに特化した人はタイピストを雇えばいい気がするが、どうもそうではないらしい。

まぁちょっと想像すれば分かるけど、孤独な環境でこそ真価を発揮しそうな執筆作業を共同でやるのめんどいとか、推敲のときにどっちにしろ自分が活字を直接いじれたほうがいいとか。

 

いずれにしても、キーボードはペンにも声にも敵わない。これは真実でしょう。

平易でありきたりな文章を量産するのには向いているかもしれない。チャットとか、日記くらいがちょうどいい。

 

いろは坂配列は創作文には向いていない。

なぜなら開発者の国語力と日本語に対する貪欲さが足りてないし、想定もされていないからである。現にペンの真似をしようとなど微塵も思わずに作られたものだ。

使い所は、大した思考や国語力が求められない文章、メールとか、報告書とかを爆速で片付けるのに向いているでしょう。チャットなどで声の代わりとするのにも向いているでしょう。

タイピングゲームにもめちゃくちゃ強い。ゲーミングキーボードならぬ、ゲーミング配列と呼べるかもしれない。

めっちゃ難しいけれど習得したらそれだけでアイデンティティーや満足感の得られる楽器、それがいろは坂配列である。

 

でも、声にとうてい敵いはしない楽器にも居場所があるように、

声とペンに敵わないタイピングの居場所だって、きっとあるはずだ。

そこから脱却しなければ喋ることにも書くことにも劣った道具を強制的になすりつけられている気分にしかならない。まぁ多少文章作成が拙くなっても活字化が同時にできるメリットは計り知れないけれど、それでも腑に落ちない。

  

楽器に手を出す人は往々にして歌唱力に自信のない人だ。

でなければ、音楽をやりたければ歌うのがもっともてっとりばやい。楽器は大変ですよ。毎日1〜2時間の基礎練習(ロングトーン、音階、アルペジオ)をしなければ、ほかにどんな良い実戦練習をしても水の泡となります。楽器を無意識化するにはそれほど時間の代償があります。

タイピングも同じであり、ペンを器用に動かす星に残念ながら生まれてこれなかった人種に対して、(書くことには及ばないとはいえ)打つことで同じ土俵に立つ権利が得られる。

私のような人間はタイピングによって救済されたのだ。でも同時に、膨大なタイピング練習時間という代償も払ってきた。

 

私が渋々歌の練習をするまでは、配列開発者として書く道具を作ることはできないだろう。

でも私には歌の才能が無いのでいろは坂配列は書くための道具ではないと公言することにした。

創作文動画を意地でも出してこない配列がたくさんあるが、まぁ似たようなスタンスなんだろうと想像してしまう。少なくとも打つ事にとらわれて書く事を重視しなかった配列ということだろう。

 

 

最初に色々な楽器を紹介したが、じゃぁどの配列がどの楽器の位置付けになるかというのは、ご想像にお任せしよう。

 

書くのが好き、打つのが好きというのは逆相関と思われる。書くのが好きなほどタイピングが面倒くなるのは容易に想像できる。

配列開発者がどっちに属しているかというのは注視したい。最近は後者寄りの人が目立つ気がするが、でももともと配列界は前者寄りの集団から誕生したと思っていて、打つのが好きな人が参入したのは月配列の時からではないだろうか。

 

タイピングで「書く」などと気安く言わないように気をつけることにした。

「打つ」という手段は「書く」でも「喋る」でもない第3の言語表現方法だと認識することで初めて、打つことの真価が分かっていけばいいな。