ライター式タイピングとタイパー式タイピング
タイピングにはタイパー打ちとライター打ちの二つの道があるということを、ようやく実感しました。
もともとはタイパーとして配列開発してましたが、両方の道が見えたとたん配列界で迷子になりつつあります。
ともあれ、タイパーがライター打ちの片鱗を掴んだ事例は初だと思われるので、誇らしげに比較したいと思います。
タイパー打ちではキーボードを楽器のように使います。
音楽にはたいてい楽譜があるように、なにかのコピー打鍵が主戦場です。毎パソが典型ですね。
また、自分の発声のコピーも含まれてて、どんな手段でもいいから喋る速度で打てるようになることを要求されます。
一方、ライター打ちはキーボードをペンのように使います。
てっきり大岡さんのような本職でないとこのような打鍵が体験できないのではないかと思っていたけれど、
そうではなく、たぶん「ペンの感覚」自体は誰でも小学生の頃たたきこまれているため、
それなりの配列を使えばふつうの人でも体験できると思います。ただしQWERTYやJISかなではほぼ不可能でしょう。
ライター打ちをひらたくいうと、なるべく力を使わず指先だけでペタペタ打つタイピング法だと思います。
そうすることで指先の神経が研ぎ澄まされ、ペン先を操る感覚に近づくのでしょう。
実際やってみると確かに脳の状態がペンを握っている時に近づく事が分かります。
力を使った時点で反則なので、一定以上指を伸ばしたり腕を動かすのがNGであり配列に対する制約が多いです。
実際、QWERTYでタイパー打ちしてもなんとも思わなかったTYGHが、月林檎配列でライター打ちでTYGHを打つとペンの感覚から脱却することが分かり、びっくりです。というのも私は指の能力にはある程度自信があったので、指を伸ばすことにここまで違和感を覚える日が来ようとは。。
ちなみにタイパー脳に切り替えればこの点は気になりません。
極論いうと「指の強さ」で優劣がつくのはタイパー打ちだけで、ピアノのように指を使う事自体がライター打ちではNGなので、そこでは指の才能はたいして意味ないのではないでしょうか。
今思いつきましたが、この関係は卓球のペンとシェークに似てますね。ライター脳とタイパー脳の切り替えはラケットの持ち替えのようなものです。
ペンラケットのほうが手先の感覚を使えるので球の繊細な制御がやりやすいですが、バックハンドが力が込めにくかったり裏面が使えないなど弱点もはっきりしています。
シェークハンドはその点、弱点が少ないです。ただし手先の感覚では扱えないため小手先の操作ができず、ラケットが自分の体の一部になるのには時間がかかると思います。
ペン派がライターで、シェーク派がタイパーです。ペンと楽器の喩えもいいですが、卓球が分かる人ならこっちの喩えも伝わりやすそうです。
というようなところまではライター打ちのことがわかりました。
利き手の事とシフト方式については私は経験不足です。ただ薙刀式のように、連続シフトで右手重視するのが、ライター打ち特化の配列の解だと推測します。
月林檎配列ではタイパー打ちとライター打ちのバランスをとる事を掲げています。実際、何箇所も薙刀式の真似をしている点があります。
一方で、タイパーお墨付きの月配列とQWERTYの特徴も生かしているので、
器用貧乏にならないように気を付けないといけませんね。
この記事は初めて月林檎配列で書きましたが、かなり満足です。タイピングで「書く」感覚を久々に味わいました。タイプウェル記録は120秒ですし、実際はもっともっと遅く打ってましたが、楽しかったです。
最近の記事はほぼQWERTYでやってましたが、「打つ」事から脱却できなかったんですよね。脳内のテキストを模写してる感じで、どうも心ここにあらずといったところでした。
2年前まで「QWERTY/JISかなで何が悪いの?」と本気で思ってましたが、まあ人は変わるものというか世の中は広いものというか。。