QWERTYは打てない方が良い
QWERTY打てる人がQWERTYに拘るのは呪いにかかっているからである。
感染者代表として私がQWERTYへの所感を書こう。
QWERTYは配列として客観的に分析したり、実際に毎日長時間連続で仕事で使ったりすると良くない配列なのは分かるし数々の批判もごもっともなのだが、
それでも生き残っているのはそれなりの長所があるからだ。
若者であれば、たいてい速く打ててる。暴論だろうか。
アラサー世代ならわかると思うが、小中学生時代にチャット・メッセンジャーがすごい流行ってて、楽しかったなぁ。みんなふつうにタイピングできていたし、タイピングが下手だからチャットに参加できないなんて人は記憶にない (そう言ってる人もたいていすぐ慣れてた印象)。
QWERTYローマ字入力は感覚でそれなりに打ててしまうのだ。
今の子のフリックと私のQWERTYどっちが「喋る」感覚に近いだろうなぁ。拗音がとても打ちやすいQWERTYに分がある気がする。
QWERTYは無駄が多く、極端にいえばちゃんとタイピングにするには全身運動が必要である。少なくとも肩をよく使うのはQWERTYに自信がある人ならわかるだろう。
タイピング中の無駄な運動はいつも配列界ではディスられているが、でもそれは良く言うと喋る時のジェスチャーに対応するもので、
逆に数値的に効率の良い配列群は指先だけで打てるので、QWERTYしか知らない人が初めて触れたらたぶん感動するだろうけど、でも上記のようなジェスチャーする余裕はなく口の代用としてのコミュニケーションツールとしては微妙に感じるだろう。
新配列は楽に・自然に・適当に打ってる時に最もポテンシャルが発揮できるようになっているので、QWERTY使いがよくやる加速した機敏なタイピングは考慮されてないどころか、新配列でそういうことやると逆に打ちにくくなって遅くなると思う。
まぁ、チャットなんていうものは今となっては前時代のものだし、そういう場でのQWERTYの役目はもう終わったかとも思っていたが、
いま流行りのYoutube配信ではどこもコメントが滝のように流れていて、
あぁまだこういうところで喋る速度の高速タイピングは活躍できるのね、と思った。
それにこのご時世在宅なんちゃらが増えると、タイピングでの会話の必要性が増えるかもしれない。
わたしの職場でもみんなふつうにQWERTY使ってるなぁ。
そりゃタイピング下手な人もたくさんいるのだけど、それでもちゃんと仕事できてるし、キーボードへの愚痴なんてまず聞かない。
キーボードに対してこれっぽちの興味もないくせにQWERTYに順応できてすごい。
というのもちゃんと理由はあると思っていて、QWERTYでは周知のとおり教科書的な打ち方はまったく最適ではないから、裏を返すとノー勉の自己流運指が大いに役に立っているということだと思う。
片手人差し指・中指で届くキーが多く実際に両手2本ずつのタイピングで速い人もいるし、教科書通り小指を使う人など5%もいない気がする。そもそも子音・母音が近くにあるから人差し指だけでも速い人いるよね。それくらい、適当打ちでも使えてしまう配列なのだ。
仮にDVORAKのようなホムポ重視配列がデファクトだったら、たぶんホームポジションの概念を勉強しないと使えないので、一人前に打てるようになるにはタイピングを「習う」必要性が出たんじゃないかなぁ、などと想像する。
QWERTYの短所についてはまぁいくらでも挙げられるのだけど、
上記のようにQWERTYには中途半端に良いところがあって、
しかも、たとえば「喋るように勢いよく打てる」特長は他の新配列では存在せず、唯一無二の特徴となってしまっているとも言えるので、しょうがない。
もちろん遊びはともかく仕事ではそんな勢いよくタイピングするもんでも無いだろうから(そうでもない人も大勢いるが)、
別にタイピングの爽快感など配列に必要ないかもしれない。新配列開発ではどうしても真面目に仕事の効率を考えて設計するし、なおのこと考慮されにくいところだろう。
でも実際、タイピングが活躍しているのは仕事だけではなく、むしろオフ時のほうがたくさんタイピングする人も今の時代大勢いるだろうから、オフ時に爽快感を発揮できるQWERTYが捨てられない理由になっているんじゃないだろうか。
そりゃぁ新配列は静かに、少ない運動量で、誰でも、簡単に打てるべきだから
上記のようなQWERTY特長はスルーだし、そもそもそういう要素を重視するならずっとQWERTYを使ってろ、ということにもなるだろう。
QWERTYに一番近い新かな配列は月配列だと思っていて、
タイパー界でも唯一QWERTYタイパーが本格的に手を出し、複数のZタイパーを輩出した実績のある配列となっている。
ただ交互打鍵が多いのと中段が重視されているところが、もちろん数学的・人間工学的?には良いことなのだろうけど、
QWERTYの爽快感はたぶん無いんじゃないだろうか。
QWERTYは打てない方が配列研究は楽しいに決まっている。
QWERTYはダメな配列なはずなのに独特な爽快感・開放感があって、
それを知ってしまうと洗練されすぎた新配列たちに物足りなさを感じずにはいられなくなる。
QWERTYは加速してじゃらじゃら流れるように打つ時が最も楽しい。
新配列で同時打鍵や交互打鍵が重視されてしまうと、これらは指の流れを断ち切る効果があるので、そりゃ指は大して運動しなくても良くなるから楽にはなるのだろうけど、QWERTYの楽しさはもう無い。で、タイピングが楽しくなくなると仕事もする気がなくなると。
QWERTY独特の流れるような指使いなんて覚えなければ同時打鍵や交互打鍵にストレスを感じることもなかっただろうから、あーQWERTYなんて覚えないほうがよかったのだなという結論になる。
だからQWERTYを打てる事自体が呪いなのだ。
QWERTYのように上段アルペジオを重視した配列の一つがいろは坂配列なわけなのだけどあれは決して"まとも"な配列ではないので (笑)、
3段のまともな配列でQWERTYの良さを抽出しようとした配列は私の知る限り見当たらない。
と思っていたのだけど、いや実は、QWERTYが人差し指を超重視している点と、人差し指→中指アルペジオを重視している点に関してはQWERTYの対極にいると思ってた薙刀式と共通しているのに気づき、
あぁそういうところでタイピング理論は繋がっていたのかなどと勝手に思っている次第。
キーボード配列沼はいろは坂配列で概ね満足してたし、自分のニーズによりふさわしい配列が他に見当たらないしQWERTYを駆逐したり否定しきる見込みもないかなと思ってモチベは下がり気味だったけど、
ちょっと上記のような切り口で再度配列沼に入りたくなり、「QWERTYのよさを抽出すること」についてもう少し再考したいと思うようになった。
それに加え前の記事のように、デファクト環境(JISキーボード通常ホムポ)と相性の良い配列が別途必要になったということもあるし、デファクトを駆逐するのではなく共生できるような新配列についても興味が出てきた。
それにしても、これだけQWERTYが好きなのにいろは坂配列に移行できた自分は凄いなぁと自画自賛してしまう。